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 ■名古屋のあゆみ
 関ヶ原の戦いで天下の実権を握った徳川家康が、海陸の連絡に便利な那古野台地に築城工事を始めたのは、慶長15(1610)のことでした。これに伴って清洲の士民が移り住み(清洲越し)、市街地ができあがりました。以来、徳川御三家筆頭の城下町として尾張藩の中心となり、江戸・大坂・京につぐ発展をみました。

 明治4(1871)に行われた廃藩置県で、新政府は名古屋県(5年に愛知県と改称)を置き、管内を6大区に分け名古屋と熱田を第1大区としました。その後、明治11(1878)、名古屋区として初めて独立行政区となり、明治22(1889)101日の市制施行で、名古屋市は人口約15 7,000人、面積約13.34km2でスタートをしました。
 明治・大正から昭和の初頭には経済界の活況に伴い、商工業都市として順調な発展を続け、昭和12(1937)に名古屋汎太平洋平和博覧会を開くに至りました。しかし、この年に日中戦争がぼっ発、以降、戦時非常体制一色へ・・・。太平洋戦争により当時の市域の約4分の1を焼失しました。
 戦後、いち早く復興都市計画事業に着手。100m道路の建設、平和公園への墓地移転などの大事業を行い、今日の基盤が確立されました。しかし復興と急成長が進む中、昭和34(1959)伊勢湾台風の襲来を受け、死者1,800人余、被災世帯13万人に及ぶ被害を受けました。この大災害は、その後の街づくり、『無災害都市』への示唆を与えました。 誕生から今日に至るまでに近隣の市町村の編入などもあり、現在では市域326.45km2、人口約225万人の規模となりました。


まる八マークとは


 

 家に家紋があるように、都市にはその都市のシンボルマークともいうべき市章があります。その多くは、都市名を図案化したものですが、中には都市の歴史や土地柄を物語るユニークなものもあります。名古屋市の市章である八などはその一つといえるかもしれません。

 ■八は尾張徳川家の合印

 ○に八の字を書いて。都市のシンボルマークとしては一風変わった意匠ですが、これが名古屋市の市章です。制定されたのは明治4010月のこと。明治40年代には神戸市や横浜市でも市章が定められており、当時は市を表象するマークを制定しようという動きが各地にあったようです。
 折しも名古屋は、名古屋港の開港、市制20周年を間近に控え、市勢の発展ぶりを内外に示そうという気運が高まっていました。
シンボルマークの制定にはうってつけの時期であったわけです。

 制定に当たっては、懸賞募集で各方面に意匠を求めました。しかし、適当な図案がなく、議論百出の末、最終的には尾張徳川家の合印(1)として用いられていた マークを採用することになったといわれています。
制定の経緯は定かではありませんが、「丸は無限に広がる力、また八は末広がりで発展を示す」というお目出度いマークであり、名古屋の歴史を大切にしながら、新たな発展を期そうという思いがあったようです。

名古屋城本丸御殿


 
 かつて名古屋城の本丸には、天守閣とともに「本丸御殿」がありました。
本丸御殿は、日本建築史・絵画史・工芸史上、最も豪壮華麗といわれる安土桃山から江戸期にかけて造営された近世城郭御殿の最高傑作で、国宝になっている京都の二条城二の丸御殿と双璧をなす建物でした。
国宝にも指定されていた世界的な文化遺産でしたが、惜しくも、終戦直前の昭和205月に空襲で焼失しました。
平成201月から本丸御殿の復元工事が始まり、現在、第1期工事(玄関、表書院等)が行われています。

 
■名古屋城本丸御殿の復元

 名古屋市は、「ものづくりの技、文化、自然の大切さ」を後世に伝える象徴として、本丸御殿の復元を進めています。
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