ある先輩が LOM で挨拶されるときに必ずと言っていいほど言われることがある。「なぜお前たちは現実的なことばかりやって夢を語らないんだ。自分たちはこの地域を少しでも良くするために無謀と思われることでも夢を真剣に語り合って、実現をしてきたのに」。
子供のころ私たちは将来の夢がありました。スポーツ選手、戦隊ヒーロー、医師、弁護士…。しかし、大人になるにつれて私たちは現実に触れ、そんな夢について現実を言い訳に実現可能なものへと無意識に変化させてきました。
JC においてもこれは同様で、入会当初は無謀なことを様々な形で実現しようと挑戦しますが、在籍年数が増えるにつれて、経験則から実現可能なものやリスクが低く単年度で実現可能なものを後輩に選択させるよう誘導してしまい、無謀とも思える挑戦を避けさせるようになってしまったように感じます。それが悪いとは思いませんが、先輩たちが持っていた情熱からすると熱量が低くなったように感じられているのではないでしょうか。事実、私自身も経験を経るにつれ、よく言っていたのは「それは現実的に難しいから、こっちに変えよう」や「それはすぐに結果が出ないし、検証ができそうにないからこっちにした方が良い」など、リーダーではなくマネージャーとして、夢ではなく 1 年間という短い期間で達成感があり実現可能なものを選択させるような動きをしてきたように思います。JC は本来リーダーを育成する団体であるにもかかわらず。
では、リーダーとは何なのでしょうか。辞書でこの意味を調べると、先導者や統率者という言葉が出てきます。その中で、共通することは誰かを導くということです。確かに、実際に達成できることに導いているという点では成長しているのかもしれませんが、未来を見据え、地域をそして日本を明るい豊かな社会へ導くという点では、1 年間という短い期間で結果を出せることに終始してしまい、マネージングのプロを無意識のうちにリーダーとして扱ってしまっているのでしょうか。
本来、リーダーとは夢を語り、進むべき方向を示し、皆を導く人です。JC は日本を明るい豊かな社会にする団体です。だからこそ、我々JC に所属するメンバーは自分たちが夢描く最高の未来を創造し、その夢を現実にすべく全力で語り合い、それを実現できるように導けるリーダーとなるべく自己研鑽し、後輩たちを導かなくてはなりません。
そもそもJCとは何をする団体なのでしょうか。設立趣意書を読むと「相互の啓発と社会への奉仕を通じて、全世界の青年と提携し、経済社会の現状を研究して進むべき方向性を明確にし、経済界の強力な推進力となり、日本経済の発展に寄与する。」と明記されており、「新日本の再建は、我々青年の仕事である」という志を立て、「国内経済の充実と国際経済との密接なる提携である」と組織の運動の方向性を示しています。つまり我々は日本経済の発展に寄与する団体であり、その手法としてメンバーが集い、相互啓発と社会への奉仕を通じて、世界的な経済社会の仕組みを学ぶのです。
「明るい豊かな社会」の定義は時代と共に変化してきました。戦後直後、日本の復興を目指した時代は、テレビ、洗濯機、冷蔵庫と言われる、いわゆる電化製品三種の神器が家庭にあることが人間の幸せの象徴であるようにマスコミがキャッチコピーとして使った時代であり、それが当たり前になった現代社会から見ると大きくかけ離れています。現代においては、LGBTQ+に始まる人間の個性や人格を尊重する社会や、SDGsのような持続可能でより良い世界を目指す国際指標が国連により制定されるなど、個人だけでなく全体を理解し全ての人が一定以上の幸せを感じられる社会になることが至上目的に変化してきています。JCI日本でも、2020年~2024年のストラテジックプランを制定し、「地域に根差し、国を想い、世界を変えよう。」というビジョンの下、現在様々な形で今後の日本をどのようにすればより良い社会を未来に託せるのかを必死に考えながら1年間を邁進しています。その中で、青年経済人としての知見と、子育て世代を多く抱えた団体として、常に時代の変化に対応し、その時々に求められる我々にとって最も幸せであり発展させられる方法を思い描き提起していくことで、日本を明るい豊かな社会にしていくことが我々JCなのです。
2022年現在は当たり前が当たり前でなくなった時代を迎えています。2020年初頭から始まった新型コロナウイルス感染症によるパンデミックによって今までの日常は消え去り、社会の様相は一変してしまいました。最近になり、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が解除されたことで、徐々に日常生活は取り戻せているかのように言われ始めていますが、私はそうは思えません。何も気にせず友人と集まって食事をしたり、JC活動ができたりしていた時代を懐かしく感じてしまいます。
with コロナからafter コロナへ時代が移り変わるように、人と人とが画面越しにテレワークを活用して仕事をすることや、マスクを着けていることが当たり前の時代になり、JCとしても会議や事業や各種大会がWEBでも参加できることが当たり前になってきています。これは一概に悪いこととは思いませんし、様々な理由で参加できない人に機会を提供する観点からは素晴らしい取り組みだとも思います。反面、その弊害として実際に集まって会議をすることで得ていた、人と人が触れ合うからこそ生まれる新しいアイディアや、何気なく話していたことから生まれる気づきというものが無くなっているように感じます。こういった考え方は時代に反していると言われるかもしれませんが、私はこの時代だからこそリアルで行うことの意義であり意味を取り戻したいと考えます。様々な大会や事業がハイブリッド開催になったことで、安易にWEB参加を決めてしまい、その場にいることでしか得られなかった「何か」を得る機会を失っていることも多くあるからです。ハイブリッドのやり方も進化し、メタバースなどを使いまるで現地にいるかのように過ごせることも可能になるのでしょうが、現在はまだそこに至っていないからこそ私は開催方法を熟慮し、JCが政府と一緒に作り上げ、ブラッシュアップし続けているカンファレンス開催ガイドラインやお祭り・イベント等開催に向けた感染拡大防止ガイドラインをフル活用したうえで、会議や事業をリアルで開催していくことこそが、夢をより実現させる近道だと確信しています。「日本国の再建は我々青年の責務である」として立ち上がった先輩たちと同じ志をもって、新しい時代に対して我々が考える新しい価値観を提供することが我々に課せられた使命です。
JCI 日本に求められていることは何でしょうか。JCI 日本は各地 LOM の親団体ではなく、あくまでも総合連絡調整機関です。しかし、実態はどうでしょうか。実際、各 LOM からそう思われているでしょうか。答えは多くの皆さんが感じられている通り、否だと私は感じます。「JCI 日本がやっている運動だからやらなければならない」と LOM は感じ、「JCI日本が理事会で審議した運動だから LOM は当然やってくれる」と JCI 日本は考えているのではないでしょうか。こんな歪な関係からは信頼関係は生まれませんし、逆に嫌悪感しか生まれないでしょう。本当に必要とすることを互いに議論し、日本にとって、そして各地で志を同じくする仲間にとって本当に必要なことを適切なタイミングで提供し、LOMにとって必要不可欠な総合連絡調整機関としての JCI 日本を全ての会員と共有しなければ、我々に未来はありません。
まずは、各 LOM からの情報を確実に収集し、それを事業に展開していく情報収集能力とスピード感、両者間の信頼関係を今以上のものにしていく連絡調整機能の強化が必須です。そのためには、地区協議会とブロック協議会の役割がとても重要になります。そして、LOM に一番近い存在であるブロック協議会は今以上の LOM 支援を行い、地区協議会もそれに協力していく。さらに、JCI 日本の事業についても、LOM からその事業の必要性や有効性を協議会が収集し事業構築に活かすことで、世の中から本当に必要とされる事業を作り上げることができるのです。
JC は 40 歳までしかできません。だからこそ、その短い活動期間の中で自分たちが夢描いた地域の未来や、日本の未来を、全力で語り合い、全力で実現させなければなりません。本気で話すからこそ、その思いが周囲に伝わり実現のために大勢の人を巻き込んで進むことができます。そして、付和雷同ではなく和而不同の精神で本気で語り合う仲間が一人でも多く増えることで、さらに伝播する力を増すことができます。我々は今、JC しかなかった時代から JC もある時代に移行し、少子高齢化も相まって会員数が減少するという時代に直面しています。しかし、こうした掛け替えのない仲間を一人でも多く増やし、一緒に日本の未来を語り合えるリーダーを育成し、仲間と共に歩んでいくことこそが日本の未来を照らす大きな力になると考えます。
日本の経済成長率は 0.3%であるのに対して、ASEAN 諸国に於いて一番高い国がシンガポール 7.6%、一番低いフィリピンでも 5.6%と大きく差をつけられています。また、アジア圏まで広げてみたとしても、日本が最低の数字であることは周知の事実です。反面、コロナ禍で状況は一変してしまいましたが、日本へ旅行に来る外国人観光客は 2010 年に 861万人だったものが、2019 年には 3188 万人を超え 10 年弱で 4 倍近くまで躍進しました。これは日本の国内需要や、既存の輸出商品だけでは日本の経済成長は限界を迎えているものの、観光資源としての文化、伝統というコンテンツを武器に海外に対して勝負ができるということです。新型コロナウイルス感染症による規制が各国で収束に向けて動きだし、日本でも様々なことに対して行動制限の緩和が見え始めた今こそ、日本の底力をもって日本の存在感を取り戻す時です。このチャンスを最大限に活かすためにも、今まで価値に気づくことができなかった質の高いコンテンツを発掘し、国内外に発信することが必要不可欠です。コロナ前とは異なる戦略を打ち出し、JCI とのつながりをフル活用し、我々の運動を全世界へ展開していくべきです。各国から求められるニーズを分析し、JCI と共に展開していくことで相乗効果をもたらし、互譲互助の精神で共に歩み、日本の存在感をさらに大きくするチャンスなのです。
こういった明るい話の裏でも、暗く悲しいことが世界では起きています。それは、2022年 2 月 24 日に開始されたロシアによるウクライナ侵攻です。ロシア側の主張を言えば、親ロシア派の組織が占拠しているウクライナ東部で、ロシア系の住民をウクライナ軍の攻撃から守り、ロシアに対する欧米の脅威に対抗するという「正当防衛」と言っていますが、その真偽は分かりません。確実に言えることは、この侵攻によって大勢の子供や一般市民の尊い命が犠牲になり、大勢の人の生活と未来が侵害され、その悪影響はグローバル経済への大打撃という形で全世界に波及しました。何よりこの行為によって、主義、主張、立場は違えど、お互いを尊重し、安心・安全に生きられるという国際社会の良識が崩されているということは世界平和の根底を揺るがす事態です。こういう時代だからこそ、我々JCは国際のつながりを活かし、この問題に対応していくべきだと考えます。
人道支援はもとより、経済支援や様々な形での支援を JCI と協力し実施することで、さらなる国際の強いつながりを作る機会とし、今以上に強固な関係を各国の JC と構築すべきです。JCI に於いて JCI 日本の立場は、その貢献度に於いて揺るぎないものですが、会員数も減少傾向が止まらない今、新しい貢献の形が求められているのではないでしょうか。これからも様々な形での貢献を求められるからこそ、このような形での関係強化によってJCI 日本の JCI における存在感をさらに増すだけでなく、国際社会での日本の立場をさらに向上していくべきなのです。
「国際社会は今、あからさまな武力による侵略という予想だにしなかった悲劇を目の当たりにしている。」この文章は 2022 年 4 月 23 日の日経新聞の社説である風見鶏に書かれていた一説です。我々世代の日本人は戦争を身近に感じたことが無かったといっても過言ではありません。イラク戦争の際にも、どこか遠くの国で起きているある種他人事だったと私は思います。しかしながら、今回のロシアが行った武力による一方的な侵略や、北朝鮮による度重なる弾道ミサイルの発射や核開発の動きは国を守るということを改めて考える必要性を生んだと感じます。
日本は四方を海に囲まれているために、地政学的にも大陸とは違い、常に他国から侵略されるという危険を感じずに過ごすことができてきました。事実、第二次世界大戦を除けば、元寇以外で他国から武力による侵略を受けたということはありません。結果的に、国を守るという意識が他国に比べて弱いように感じます。あなたの大切な人が危険に晒された時、なんとしてでも守りたいと思うことと同様の強さで、日本の置かれている立場を考えなければならないのです。
ただし、日本でこの議論をするうえで全員が認識を一致させておかなければならないことがあります。それは、歴史を理解することが前提条件であるということです。第二次世界大戦中に東南アジア諸国に日本が軍国主義のもとに行った行動を忘れずにおかなければ、国防を軍事として考えた場合、他国からはもちろんのこと国民からもすんなりとは受け入れがたいものです。これまで、日本政府は外交という武器を手に、多角的観点を持って戦後日本を守ってきました。そして、政府だけでは届かない部分、経済、文化といった民間外交を民間が担い行ってきました。JCI 日本も民間の力を使い、これまでも様々な形で民間外交の一翼を担ってきました。しかしながら、今回の武力による一方的な侵略を目の当たりにした今、本当に外交だけでこれが解決できるのか国民が真剣に考えなくてはならない岐路に立ったと考えます。確かに日本には自衛隊があり、専守防衛という精神で国民を守るために常に訓練し、国の有事の際には危険を顧みず活動してくれる方々がいます。「君たちは自衛隊在職中、国民から感謝歓迎されず、非難誹謗ばかり受けるかもしれない。(中略)しかし自衛隊が国民から感謝歓迎されるのは、外国からの武力攻撃や自然災害などで国家国民が困窮混乱している時だ。言い換えれば君たちが日陰者の時の方が国家国民は幸せなのだ。どうか耐えて貰いたい。」これは吉田元総理が行った防衛大学第 1 回卒業式での訓示です。憲法改正議論が進む昨今、自衛隊についてもその文言が今後検討されていく今だからこそ、我々も国を守るとは何かを真剣に考え、今後の外交という戦いを見つめ直す必要があります。
安心と安全は国を守ることだけではなく、我々の普段の生活にも当然必要です。世界一安心・安全な国日本。2022 年 7 月 8 日に起きた安倍元総理銃撃事件によって、この国の神話は崩壊しました。一国の要人が白昼に公の場で銃撃され死亡したという事実は、この国が安心で安全な国だという認識を根底から覆す、卑劣で許されざる事件となりました。こういった事件が起きた今、我々は本当の意味で安心と安全とは何なのかを改めて考え、国を守るとは何か、真の安心と安全とは何かを真剣に議論しなければなりません。
また、災害も我々の安心と安全を脅かす大きな問題です。近年は大規模災害が多く発生し、年間のインフラ投資予算の三分の一が一度の災害で失われるという現状があります。防災や減災の取り組みは当事者にならないと緊急性を感じず、優先順位としては後回しになりがちですが、一度災害が起これば大きな悲しみを生み出します。平時から災害に対する意識をもち、今の我々にできることを常に考えて実行していく必要があります。
日本は世界一安全な国だとよく海外の人は言います。我々にとっては当たり前ですが、夜公園を一人で歩いていても、酔いつぶれて路上で寝ていても海外のように犯罪に巻き込まれにくい、自動販売機が路上に置いてあっても盗まれないこと等は海外から見れば驚くべき事例です。上下水道や道路が当たり前の様に整備され、停電を気にせずに電気が使えるということも世界から見れば凄いことなのです。しかし、日本人にとってこれは当たり前になってしまい、それが本来は幸せであることを忘れてしまっているのではないでしょうか。しかし、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックにより、企業活動だけでなく、私生活に於いても様々な規制が行われ、大人だけでなく子供たちからも何の前触れもなく自由を奪い去ってしまったことで、生活は一変し、安心・安全以外の当り前が崩壊してしまいました。
2 年がたった今、当たり前が当たり前ではなくなってしまった時代に我々は何ができるのか、どうやって当たり前を取り戻そうかと必死にもがいた時期は過ぎ去り、今はこの不自由な自由とどうやって付き合い、その中で新しい形の幸せを見つけ出す時代に入ったと言えます。こんな時代だからこそ、我々は青年経済人としてだけでなく、子育て世代としても、本当の幸せとは何なのかを真剣に問い、何が正しいのかを様々な形で提示し、その可否を取っていく必要があります。
教育制度は大きく変わってきています。我々の親世代と言えば、二世帯住宅が当たり前で、サザエさんのように祖父母と一緒に暮らしているのが当たり前だったと聞きます。結果的に、教育は学校が行い、祖父母が一般常識や躾と言われる礼儀作法全般を孫に教えていました。しかし、核家族化や共働きすることが当たり前の時代に入り、学校に求められることが過剰になってしまった結果、学校と親との間での歪みが生まれています。これを解決するためには地域の力が必要です。都会に近づけば近づくほど、近所付き合いが希薄になり、子供たちを地域で見守るということをしなくなりつつあるこの時代ではありますが、今こそ、その価値を見返すべきなのです。そのために必要なことは、子供に対しての教育ではなく、我々大人に対しての教育です。関西大学社会学部の保田教授によると、親が我が子と過ごす時間は母親で約 7 年 6 か月(65,700 時間)、父親で約 3 年 4 か月(29,200 時間)と非常に短い時間しか過ごせません。裏を返せば親ではなく他人と触れ合う時間が圧倒的に長く、そちらで受ける影響が大きいのです。だからこそ、自分の子供でなくても、気にかけて、何か悪いことをしていれば当たり前に注意をするなど、正しいことと正しく無いことをしっかりと認識するため、自分たちが子供の頃に大人から当たり前のようにされていたことをする必要があるのです。
日本では 2020 年 10 月に 2050 年カーボンニュートラルを目指すことを宣言しました。これを踏まえ、経済産業省が中心となり「2050 年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」を策定するなど、政府も本気でカーボンニュートラルに取り組んでいます。この成長戦略は今後成長が期待される 14 の分野に様々な提言が行われているわけですが、主に企業に対しての提言であって、個人個人に対して成されているわけではありません。しかし、このカーボンニュートラルということは企業の努力だけではとても足りず、個人としても大きな努力を強いられるものだと感じています。
JCI 日本には自分たちの運動で世界を動かした経験があります。それは、1993 年から始まった「もったいない運動」です。この運動は大勢の方の共感を得て、翌年には JCI 公式プログラムに昇華し、ノーベル平和賞をアフリカ人の女性として初めて受賞したワンガリ・マータイ氏からも共感を得て、「もったいない」から「MOTTAINAI」へさらに昇華させました。カーボンニュートラルにおいても、我々は日本人のもったいない精神に立ち戻って、まず身近なところから進めていくべきはないでしょうか。
1990 年に約 1000 万トン使用されていた印刷用紙も、2008 年のリーマンショック時で約 3000 万トンという最大値を迎え、その後は減少し続けているものの現在でも約 650 万トンという高水準に高止まりをしています。近年、雑誌や新聞などもインターネットやスマートフォンアプリで見ることが増加傾向にあり、私自身も新聞を紙で読むことはほぼなくなりました。そうした中で、JC はまだ紙資料を多用する文化があり、食だけではない新たなもったいない運動を 2023 年より展開していくべきだと考えます。企業は裏紙を使って印刷用紙の削減や、データを使った会議などを使いどんどん進化しているにもかかわらず、パソコンが企業に取り入れられるより先に、率先して会議に導入し活用してきた我々がこれ以上世の中から遅れるというわけにはいきません。さらには、こういった身近なものから環境に対して配慮することこそが、2050 年のカーボンニュートラルに我々が貢献できることだと考えます。
私たちは、四季が織りなす素晴らしい景色や、日本の伝統、食文化などを次世代に残していく義務と責任があります。その中でも、環境問題は全てのことに直接的にも間接的にもかかわる重要な問題です。個人でやっても意味がない、中小企業だから関係ないではなく、小さなことから始めて、次世代に私たちが負った責務を果たしていきましょう。我々国民一人ひとりの小さな一歩の積み重ねこそが、環境問題を解決していく大きな一歩につながると私は信じます。
JC には多種多様な人財がいます。私自身 2022 年で入会 12 年目を迎え、様々な出会いに恵まれました。確かに世の中で言われているようなマイナスの印象を持たれる行動をする人にも出会いましたが、圧倒的多数は違います。地域のことを真剣に考え、日本をより明るい豊かな社会にすべく夢を持って活動するメンバーが大勢います。この魅力を持った人間の集団が JC なのです。地域や国をより良くすることは簡単ではありません。簡単ではないからこそ、自分が思い描いた夢を本気で語り、それを実現すべく付和雷同ではなく和而不同の精神で真剣に仲間と議論し、全力で突き進むことこそ、我々がリーダーとして示すべき姿なのだと確信していますし、多種多様な人財がいる JC だからこそ実現できるのだと信じています。
我々JC はこれからも自分たちの夢を真剣に語り合い、世の中に自分たちが考える理想の姿を示し、それを実現するために仲間や、様々な団体と協力し、覚悟を持って実現していかなくてはなりません。それこそが JC の存在価値であり、我々が先輩方から受け継いできた創始の理念だと思います。その志を我々世代だけで完結することなく、次世代に伝え、全力で前に進み続けることで、今後の JC を今以上に価値のある団体にすることができるのです。このように志を高く持ち、夢に向かって全力で邁進できる JC だからこそ、今後も日本を明るい豊かな社会にすることができると私は確信します。