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2015年度 第64代会頭 柴田 剛介 所信

公益社団法人日本青年会議所 2015年度会頭所信 柴田 剛介

人は人生という絵を描く画家
私はいままでどんな絵を描いてきたのか
これからどんな絵を描こうとしているのか

 

 

【はじめに】
人口6,000人のまちで育った少年期。先輩から貰った一着の古い柔道着を大切に、日々道場に通っていた。それは私にとって頼もしい友であった。「襤褸は着てても心は錦」とはよく言ったものだが、当時の私はそんな言葉も知るよしもなく、ただただ強くなりたい一心で練習に励んでいた。今から思えば、そのとき抱いていたのは幼さゆえの劣等感だったのかもしれない。いつか真新しいそれを身に着けたいと心の奥底では思い続けていた。その後進学のため、上京することとなる。私は3畳一間のアパートに下宿を決めた。決して十分な環境とは言えなかったが、その部屋の窓から見える景色は、無限の可能性を映し出し、私は新たな人生のスタートを切った。
物事には必ず始まりがある。その始まりは人それぞれに違うものであり、それは不平等であるかもしれない。その気まぐれに現れる不平等という感情は、私に期待感と健全な劣等感をもたらし、それらは絶えず新しい目標を与えてくれた。
私の心には部屋の窓から見えた景色が、今なお鮮明に残っている。人は誰でも、目を閉じると絵が思い浮ぶ。それはこれまで歩んできた軌跡であり、心の拠り所となる。また、その軌跡の先端には必ず目標があり、それが人々の希望となるのである。
人は人生という絵を描く画家である。やがて私は、社会に出て、企業の人となり、地域の市民となり、その都度目標を与えられ、振り返れば自分なりの絵を描いてきた。そしていま、私にかつてなく大きな目標を与えてくれているのは青年会議所であり、これから新たな絵を描こうとしている。

 

物事は見えるものだけが本質ではない
「何が起こっているのか」核心を明らかにする必要がある
核心を追求し続けるところには、必ず青年がいる

 

 

【一人の青年の核心から一世紀】
20世紀初頭アメリカ第4の都市であったセントルイスは、同年にオリンピックと万博が開催されるなど、文化的、芸術的に繁栄した流行発信の都市であった。そのセントルイスに伝わる文化を守るために、ハーキュレイニアム・ダンス・クラブを主催する一人の青年がいた。その青年とはヘンリー・ギッセンバイヤ・ジュニア。JCの創設者である。ある日、彼は市議会議員コローネル・ヒューズ・N・モルガンとのミーティングの中で、一つの核心にたどり着くこととなる。
当時セントルイスには、一本のハイウェイが開通し、その文明的発展は人々の希望となっていた。しかし、本当に住み良いまちをつくるのは文明だけではなく、そこには人々の心の拠り所となる文化が必要であり、それらを守れるのは市民の力であるという核心だ。ACTIVE CITIZENSHIPである。そして1915年10月13日、最初のチャプターとして進歩的青年市民協会(YMPCA)を設立することとなる。これがJC運動の始まりである。
核心を追求する青年は時として時代に風穴を開ける。それは昔も今も同じだ。誰もが経験したことのない難問にぶつかるのは、核心を追求する青年だからであり、JCが先駆者と言われる所以でもあろう。成功、失敗全てを経験する。そして、この経験をすべて後世のために伝えていく。JCとは、そのような組織なのである。
一世紀前の一人の青年の志と、今を生きる我々の志は、何一つ変わっていない。

 

 

【人生のものさしとは】
人は物事を評価するとき、組織の規模や経験の長さなど、数値的に判断しがちである。時には、その人の人生までも数字で判断してしまうこともある。しかし、人生は決して数字では評価できないと私は考えている。何故なら、人々の幸せにどれだけ貢献できたかが、人生を評価する唯一のものさしだと確信しているからである。

 

『成熟したナショナリズムと民間外交、そして地域経営を通じて、日本の繁栄を願う。』

 

これが日本青年会議所2015年度の普遍的な考え方である。人々の幸せにどれだけ貢献できるのか。この人生のものさしをもって日本の繁栄を目指そうではないか。

 

私たちは深く結ばれている
国と私たちはもっと深く結ばれていく
国のかたちを描くのは青年の任務だ

 

 

【東日本大震災から学んだ成熟したナショナリズム】
日本人として生まれたことを誇りに感じずにはいられない。東日本大震災がもたらした津波は無残な傷痕を残したが、日本とはどのような国なのかを改めて見直す機会となった。
震災直後、多くの人々は誰の要請を受けたわけでもなく被災地に駆けつけた。同じ日本という共同体に暮らす仲間のために、いま自分ができることを自ら考え、行動に移したのである。一人でも多くの仲間の安否を気遣い示した行動は、世界から賞賛を受けた。何故、多くの人々が支援に動いたのか。それは日本という国自体が、自然に成立した国家だからである。翻って、民族、言語、国土、文化、宗教といったナショナリズムの五大要素がほぼ一致し、しかもそれが自然に成立した国は世界でも日本くらいであろう。連綿と続く共通の文化や伝統の中で価値観を共有し、何かあった時は互いに助け合うといった心があり、そこには顔や名前を知らなくても家族であるという絆が存在している。私はそれを成熟したナショナリズムと呼ぶ。
忘れがちなこのナショナリズムの大切さを、人々は震災によって再び気づくこととなる。日本の底知れぬ力を知るとき。日本人として再び誇りを取り戻すのである。

 

 

【国史を学ぶことが安全保障の基本】
世界各地では、思想や宗教を背景とする国家間・民族間の紛争や対立が起きている。かつて文明国の多くも、強力な指導者の下で戦い、国家の統一や維持を図ってきたことは歴史が語っている。一方日本は、そのようなイデオロギーの紛争や対立でできた国家ではなく、共通の文化や伝統の中で価値観を共有することによってできた、2675年の悠久の歴史を誇る万世一系世界最古の自然国家である。
そのような自然国家である日本は、諸外国と比べ遥かに安定した秩序を有しており、世界に誇れる国家となっている。この安定した秩序が保たれているのは、日本には地球全体を大きくゆっくりと流れる深層海流のような、2675年の悠久の歴史が流れているからであり、その中には日本固有の精神が宿っている。また、日本は外来文化を受け入れても、それらはあくまでも大海の表層を流れる水流のようなものであり、決して日本の歴史や精神を失うことはない。それらを日本流にアレンジをしてしまうこと、時には自らの手で流行をつくり出してしまうことができるのは、日本の底知れぬ力の表れであり、そこには深層海流のような歴史と精神があるからである。だからこそ、日本は何処の国よりも崇高な理想を持つことができるのだ。
しかし、いまの日本はどうであろう。驚くことにこの誇るべき日本の歴史が、国内では日本史と呼ばれ世界史と同列に扱われている。そもそも日本史は、日本語が教育の場では国語と呼ばれるように、国史と言われるべきであって、若者が国史を学ぶことは世界を見ても常識と言ってよい。つまり、諸外国を見てみると国史について知らない国民は皆無なのである。しかしながら、どれだけの日本国民が国史、例えば日本の建国について理解をしているであろうか。残念な話だが、アメリカであればジョージ・ワシントン、中国であれば毛沢東の存在を知っている日本国民の方が多いかもしれない。これでは到底、日本が当り前の国だとは言えないのではないだろうか。
未来を担う小中学生を中心に、国史を学ぶ機会をつくり、日本を誇りに感じずにはいられない、そんな教育への取り組みを進めたい。

 

 

【日本人としての生き方】
日本では、「相手のために利害を考えず尽くすこと」は、何も特別なことではなく、自然と日常の中で繰り返し行なわれてきた。
これは自己犠牲と言った仰々しいものではなく、物事を相手の目で見て、相手の耳で聞くといった相手を慮る心である。この心が日常における人間関係の潤滑油となり、社会生活に豊かさを与えてくれている。身近なことでいえば、「玄関にさりげなく季節の花を飾りお迎えをする」や「夏の来客時には、玄関に打ち水をしてお迎えをする」などの心配りである。これらは道徳以前の、相手を慮るという情緒であり、自然国家である日本においては人間関係を構築する基本だ。日本人は、何が善で何が悪かという道徳律と共に、「何をすることが美しいのか」という民族特有の行動基準をもっているのである。つまり、「どう生きることが美しいのか」という美意識である。この独特の行動基準によって、日常生活の態度や姿勢から社会生活の倫理までが形づくられている。ある人の生き方に触れたとき「美しい」という感動が自然と湧き起こってくる時がある。人間同士の信頼関係は、規則や道徳を越えて、この感動の共有を通じて生まれてくるのである。
いま私たちは日本人としての生き方が問われており、それは「どう生きることが美しいのか」という美意識に大きく依拠している。

 

 

【理想の国家像を示す】
憲法とは、国家に権力を付与、制限すると同時に、主権者である日本国民がどのような国家体制を築いていくか、その基礎となる法規範である。しかしながら、現行憲法施行後68年が経ついま、一度も日本国民の声を聴く機会がなかった。
近年、安全保障や平和維持、自然保護など、我々を取り巻く環境は大きく変わり、改憲・護憲の議論や憲法解釈についてメディアなどで目にする機会が増えた。この潮流で日本国民の憲法に対する関心度が高まりつつあるが、2015年に戦後70年目を迎える日本において重要なのは、主権者である国民一人ひとりが建国の父になったつもりで、日本の歴史や精神に誇りをもち、世界が憧れる憲法を描いてみることである。2012年、日本青年会議所は改訂版日本国憲法草案を発表した。この草案をもとに論議を尽くし主権者意識の醸成を図ると共に、国民投票の投票年齢を改正法施行から4年後に「18歳以上」に引き下げることが議論されているいま、未来の有権者である若年層でもWEBやSNSを使った憲法論議を起こしていきたい。
不易流行という言葉があるが、日本が連綿と受け継いできた歴史と精神、即ち「不易」と、時代と共に動く社会に適合すべきところ、即ち「流行」を見定め、いまこそ理想の国家像を示すときである。

 

 

【安全で安心な国を目指す】
北方領土や竹島の不法占拠、尖閣諸島領海侵犯並びに空域の管轄権主張など、国境問題や事件は優れたリーダーが現れないと解決に向かわない。しかし、我々はその出現をただ待つわけにはいかない。
北方領土は、占領前の生活やポツダム宣言後の惨事の語り部である島民の方々の高齢化が進み、一日でも早い返還が望まれ、竹島は、自国のナショナリズムの高揚のために不法占拠されており、時間と共に両国間の国民の関係が悪化している。また、この瞬間も力を背景とした一方的な行為によって、南シナ海では国家間の対立が続いており、東シナ海でも日本の領海への侵入が相次ぎ、海上保安庁や自衛隊が高い緊張感をもって警備を続けている。その中、国会では尊い命を守るため、限定的な集団的自衛権の行使について憲法解釈の変更が閣議決定され、法整備に向かっている。だからこそいま、安全保障という観点で領土領海領空について正しい知識と強い意志を持ち、安全で安心な国を目指す主権者意識を高めていきたい。
確かに生涯安全で安心な世の中など存在しないかもしれない。だからこそ、正しい情報を日本国民に対して完全に開示することと、併せて健全な歴史観と世界秩序の中で生きているという自覚が必要とされているのである。
また、排他的経済水域を含めると日本の国境は格段に広がり、その権益面積は世界で6番目の大きさとなる。まさに海洋国家といえるだろう。そこには6,852の美しい島々が存在し、豊富な天然資源と共に日本国民を優しく豊かに包み込んでくれている。このかけがえのない財産をどのように守り発展させていくか。北方領土を中心に島々を調査し、未来を担う子供たちと共に30年後のビジョンを描いていきたい。
生活を豊かにしてくれる解は必ず存在する。子供たちが夢を描き続ける限り、日本は世界に誇れる安全で安心な国へと一歩ずつ近づくのである。

 

 

【誇れる政府をつくる】
主権者(有権者)によって選ばれた政治家は、日本国民の生活を豊かにするために政治を執り行なう。また、その政治家によって管理される組織が政府である。つまり、政府の質は主権者(有権者)の質が反映されているのである。
これまで各選挙において立候補者が、故郷を誇りに思える教育を掲げているか、また労働生産性の高い政策を掲げているかなど、日本青年会議所の事業の観点から点検をしてきた。また、WEB上に若年層をターゲットとした「E-みらせん」をつくり、立候補者の生の声を届けることで、政治参画への関心度を高め政策本位による政治選択を推し進めてきた。さらに全国で公開討論会を開催し、クロストーク型を用いるなど、政策の違いだけではなく、立候補者の政治家としての力量や人となりまでも届けてきた。成熟した民主主義国家において、国や地域を良くするために与えられた手段は紛争や暴力ではなく選挙である。2015年3月、統一地方選挙が行なわれるが、これを好機として捉え、自らの責任で誇れる政府や地方自治体をつくる主権者意識を高めていきたい。
いまの政治を非難する前に、日本国民は主権者として政府の一部を担っていることを自覚し、自らの意思を示すときである。

 

世界の中の日本を強く意識する
世界に貢献できる国がある
その担い手こそ日本の青年だ

 

 

【国益を生む諸外国との民間外交】
これまで日本青年会議所は、民間外交を通じて世界の平和と安定に努め、日本の繁栄という目的達成のために世界中を飛び回ってきたが、創立当初から比べると世界情勢は激変している。間違いなく今世紀、世界の生産と消費の中心となるのは、中国やロシアを含んだユーラシア大陸であり、日本が現在の豊かさを維持するためには、この中国やロシアとの関係がこれまで以上に重要度を増すことは否定できない。
特に、中国は長い歴史を見ても日本との関わりが深い国である。近年、この中国の急激な経済成長が良い意味で競争を生み、さらなるアジアの繁栄ひいては日本の繁栄につながっている。1986年からカウンターパートである中華全国青年聯合会とは2009年に「日中中期ビジョン5ヵ年計画」を結び、2014年「日中未来友好協定」を締結した。アジアを牽引する良きパートナーとして、先駆者的経験を積む日本青年会議所とアジアの大国を支える中華全国青年聯合会が手を結び、アジアの平和と安定に向け未来志向な関係を構築していきたい。
また、ロシアも文学・武道・アニメなど日本文化が浸透し、親日的で、価値観を共有できる大国である。この価値観の共有は、産業や教育面において互いの理解に対して障害が少なく時間を要しない。この両国間の成熟した関係において行なうオポラロシアとの交流は、戦後世界史上もっとも経済的に繁栄した日本企業の技術と経験が、今後さらなる両国間の繁栄に意義深い成果を導くと確信している。また、日本とロシアの学生たちの交流も、両国間の未来に明るい兆しとなるであろう。文化体験を軸とした互いの価値観を共有する未来志向な事業は、彼らを深い友情で結び、それは一律の友好だけではとどまらず、国家を支える人材育成ひいては両国間の平和と安定へとつながる、かけがえのない国益となるのである。
また、視野を広げると混沌とした社会情勢の中で迷走し、公平な機会が与えられない、もしくはその機会を十分に活用出来ず産業基盤が築けない国も多く存在する。しかし、それらの国々には可能性を秘めた若者をはじめ多くのリソースが存在し、そこにこれまで我々が青年経済人として培ってきたアントレプレナーシップが加われば、その国の産業発展や雇用創出だけにはとどまらず、国際社会における日本の存在感は高まるであろう。これまでの経験を活かし、あらゆる国際舞台で貢献できるJAYCEEとして活躍の場を広げていきたい。
確かに政府間では解決に取り組まなくてはならない課題や問題が山積している。日本の繁栄を考えると自分の価値観を押し付けるのではなく、互いに誠意をもって相手を理解することが民間外交では重要なことであり、決して個別の問題で全体の利益を見失ってはいけない。相手の目で見て、そして相手の耳で聞く。そんな日本の心を忘れずに相互の理解を深めていきたい。その心の共有こそが、世界を恒久的な平和に導いてくれることを信じてやまない。

 

 

【リーディングNOMとしての責任】
JCは青年による組織らしく爽やかな風が吹く組織であることを願いたい。世界中で苦しむ人々のために、互いに助け合い、経験を分かち合う、そんな国際的なネットワークである。確かに世界には不平等な環境下で生活する人々は多く、それを乗り越えようとする経験の度合いに差があることも仕方がない。しかし、そこに国家として人として上下や優劣の意識があるのであれば、我々は正面を切ってその意識の解決に向き合わなければならない。
戦後日本において、どの組織も国際社会で明確な立ち位置がない中、1951年5月にカナダモントリオールで開催された第6回JCI WORLD CONGRESSでフィリピン出身のラモン・デル・ロザリオJCI会頭が、JCには国境も民族も関係ないと、JCIにかつての敵国であった日本のJC代表団を受け入れたことは有名な話であるが、この精神と我々の先輩方の国際社会への復帰に対する情熱があったからこそ、いまの我々が存在することに感謝しなければならない。つまり64年が経ったいま、JCIのリーディングNOMまで成長させて頂いた日本青年会議所が、この恩を未来へ送るべく、JCIを通じて国際社会へ貢献していくことは何も特別なことではなく自然な行ないなのである。また世界で殆ど類を見ないが、我々のバッジには国連マークが刻み込まれており、近年JCIは、その国連が掲げる国連ミレニアム開発目標(UN MDGS)に全面的に協調そして協力を行なっている。この目標期限は2015年で最終年度を迎えるが、運動の意義や目的を絶やさぬよう世代を問わず身近にできる国際貢献JCI NOTHING BUT NETSキャンペーンを草の根運動として展開し、市民一人ひとりの一歩が国際社会に大きく変革をもたらすことを伝えていきたい。併せて日本の小中学生には、国連の施設や国際貢献の活動内容について肌で感じる機会を提供し、国際社会の一員である意識醸成を図ると共に、その彼らの成長を応援する、そんな社会をつくっていきたい。
世界には何の罪もない子供たちが笑顔を失っている事実がある。しかし、人は不平等な環境にあっても、小さな一歩であれば必ず踏み出すことはできる。64年前、我々も優しく手を差しのべられたように、温かい心をもって貢献することが国際社会から本当の信頼を得ることにつながるのである。

 

 

【日本のファンづくり】
悠久の歴史を誇る自然国家日本に住み暮らす人々は、生きることに誠実に自らの価値観を磨き上げてきた。そんな価値観で溢れた日本は、世界に誇りたくなるくらいの美しい共同体をつくり上げている。明治中期その日本を訪れたパトリック・ラフカディオ・ハーンやイザベラ・ルーシー・バードたちは、日本の心に触れ、感動し、ファンになっていった。
2015年度も国内外問わず、日本の心をもって日本のファンづくりを行なっていく。心に触れての感動があればこそ、必ずやファンになってくれるし、これは未来に大きな幸福をもたらすに違いない。これが民間だから自由で楽しくできる外交なのである。また、一人の青年の核心から始まったJC運動は、いよいよ100周年を迎える。この記念すべき年にJCI WORLD CONGRESS金沢大会が国内で開催される。日本らしさが随所にある都市で開催されるこの大会は、過去日本を訪れた偉人たちと同様に、世界中のJAYCEEに日本の心という感動体験を与えるだろう。そして、各地会員会議所が大切に育んできた日本の心を、参加者全員で共有できる機会にしたいと思う。
この日本のファンづくりは、改めて我々に日本の底知れぬ力を知らしめてくれる。日本人としての誇りを取り戻すこと。これが何事にも代えがたい国益なのである。

 

自分たちの地域を見つめ、改革する
地域の文化と現代の文明を組み合わせる
地域再興の先頭に立つのは青年だ

 

 

【イノベーションを起こす思考をもつ】
イノベーションを起こす人は、既存のアイデアを組み合わせることができる人である。 決してゼロからつくり出すことが求められているわけではない。イノベーションは「何故こうなっているのか」、「どこに問題があるのか」といった核心の追求から生まれるのである。
いまの日本は戦前戦中とは違い、電気、水道、電話そして教育機関などの社会基盤は整備され、最低限の生活には困らないほどの環境が整った。このような状況下だからこそ、それぞれの地方の特色を活かした発展を考えるべきであり、そこに住まう人々の意識もそのように変化してくるであろう。地方のことは地方に住まう人々が一番知っている。いつまでも国家に頼る中央集権型ではなく、地方分権等自立自活して発展する地域経営主義で地域再興を目指そうではないか。地方で人々が大切に守り続けてきた文化にフォーカスして魅力の発見と再興を図っていきたい。そしてその活動を通じて、日本のこれからの文明の在り方について考えていこう。

 

 

【制度改革、目的税を活用した地域再興計画】
アベノミクス効果や東京オリンピック効果で日本全体の景気は上向き傾向であるが、地方に目を向けると、まだ何か慢性的な疾患があるようで、自覚症状はあるが、その具体的な病名や治療方法がわからない状態である。地方に再び日が昇るには、機能不全に近い基礎自治体に大きくメスを入れ、それぞれ独自に有する唯一無二の文化や自然、伝統や歴史等の価値をいま一度再認識し、十分な機能を発揮できるように施術する必要がある。
現在の日本は、かつての国家主導による国土の均衡ある発展を目指してきた「地域開発」の時代から、地域が自らの智慧と資源を活用することが求められる「地域経営」の時代への過渡期にある。これは付加価値の高い地域特有の文化や自然、伝統や歴史などの「地域資源」を用い、地域に住まい、地域を愛する「地域人材」が「地域経営」を行なうということである。そのためにはまず、内閣官房に設置された地域活性化統合本部会合による「構造改革特区制度」並びに「地域再生計画」を大いに活用すべきである。前者は、一定区域内における規制緩和を通じて地域の活性化を促した点で、地方分権等自立自活した後の地域のあるべき姿を先取りする社会実験の役割を果たし、後者は、「地域が自ら考え、行動する。国はこれを支援する。」といった国の地域政策だからである。また、地方分権一括法により可能となった「法定外目的税」も存分に活用し、いかに地域の資源を高付加価値なものとするか、戦略的な経営者視点を持ちながら各地会員会議所と共にこの取り組みを進めていきたい。
地方がこのまま慢性的な不況で、殺伐とした地域と成り下がるか、それとも先駆者として課題を乗り越え、再興を遂げた地域となり脚光を浴びるのか、それは一概に政治家や官僚ばかりの裁量や責任ではなく、我々青年の肩にかかっているのである。

 

 

【再び日本が注目される日】
2013年9月8日、2020年夏季オリンピック・パラリンピック競技大会の開催都市を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会がブエノスアイレスで開かれ、東京が選ばれた。1964年夏季五輪が東京で開催されて以来56年ぶりに、世界中の若者に夢と希望を与える祭典がやってくるのである。
この夏季五輪開催で、未来を生きる人のためにどれくらいの遺産を残せるのか、これが日本の再興に深く関わってくる。施設などの有形の遺産に加え、ボランティアやスポーツを通じたライフスタイルなど無形の遺産は、今後日本に新たな光を照らしてくれるだろう。また過去もそうであったように、世界中の人々は日本の底知れぬ力を目の当たりにすることになる。世界中から訪れるオリンピックファンが日本のファンになる。そんな中期戦略を打ち出していきたい。

 

 

【モノ消費からコト消費へ】
地域活性化の大きな基盤は、定住促進と交流人口拡大の二つである。このうち交流人口拡大は、どの地方もそのための潜在的力を秘めている。観光立国推進基本法に基づき、2012年3月30日に閣議決定した「観光立国推進基本計画」の効果もあり、2013年、初めて外国人観光客の数が1,000万人を超え、今後間違いなく日本に感動体験を求めて訪れる観光客が増えることが予想される。
また、20世紀末頃から世界各国で日本ブームが静かに高まりつつある。ユネスコ無形文化遺産として2013年に登録された「和食」、食器や伝統工芸品などの職人技、アニメやマンガのクールジャパン、おもてなしなどのホスピタリティは、興味や物珍しさの域を超え、日本人の日常の生活が世界中の人々から好感されていることを示している。その中で、世界の人々が最初に来て驚くのが、未体験の日本人の美意識との接触である。歴史に裏付けされた技と想像力、斬新なアイデア、繊細な気遣いなど、そうした人々の新鮮な驚きによって浸透してきたのがこんにちの日本ブームだ。その最大の特徴は「五感に触れての感動」を通して、「心に触れての感動」に至る感動体験の深まりである。これら日本を代表する文化は、地方を中心とした地域経営の最大の武器でもある。しかし、これまでのような基礎自治体単位でのまちづくりでは、モノ消費が主流となり、コト消費に対応することが困難である。つまり、この取り組みだけでは産業発展、雇用創出には限界があり、地方分権等自立自活した地域をつくり出す一歩を踏み出せない。ところで、世界では滞在型観光業は自動車産業より大きいというが、JCのネットワークを駆使することで、そこに地域経営の活路がある。それは潜在的観光客に合わせた観光目的地を、地域に住まう人々と日本に在学する感性豊かな留学生が共に企画し、滞在型観光をつくるという戦略である。これまで各地で磨き上げてきた「地域のたから」をはじめ、慣習やサブカルチャー、近代工業や職人の技などにもフォーカスを当てたコト消費を主流とする感動体験が、地域再興を現実のものとしてくれるのである。また、これら共通の財産をもつ地域は決してライバルではなく、中期的ビジョンを掲げ、世界を舞台に戦える友でもあるのだ。
そこに住まう人々が豊かでないと、その地に訪れる人は現れない。地域経営による日本再興の解は、我々の日常生活の中に存在するのである。

 

 

【音楽とスポーツの力によるまちづくり】
音楽やスポーツは私たちに感動や勇気を与えてくれる。この心に触れる感動体験は、言葉では表現できない力があり、どんな有能な識者が持論を訴えようとも、勝ることはできない。そんな音楽やスポーツを通じて生涯忘れられない体験をしている子供たちで溢れるまちの姿は、住まう人々にとって心の拠り所となるのである。
2014年、東日本大震災からの真の復興に向けた4本の柱からなる新たな指針が策定された。この中の1本である「未来へつなぐプロジェクト~音楽のちから~」で発表された「未来へつなぐメッセージ」は、復興のシンボルとして被災地と被災者に心を寄せ、真の復興を成し遂げるためにつくられた曲である。心に深く傷を負った子供たちの言葉や表情を感じ、その思いを歌詞やメロディーにのせたこの曲は、被災地そして日本全体に力強く夢や希望を与えるだろう。そして、この曲を合唱する子供たちの姿が全国に広がれば、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会開催までに、必ずや被災地に明るい兆しが見えてくるに違いない。
また、一般社団法人日本サッカー名蹴会と日本青年会議所は2014年からJCカップをスタートさせた。サッカーは人生に似ていると言われ、人々を惹きつける魅力がある。人生は、勢いがあり押す時もあれば、勢いを失い押される時もある。人生の師匠は横で励ますだけでゲームには参加しない。まさにサッカーは人生を観客に見せているかのようだ。名蹴会が掲げるグッドルーザーの精神を身に纏った子供たちが全国から集まる大会は、地域の人々に夢や希望を届けてくれるものであり、この大会を地域全体で盛り上げる、そんな社会をつくりたい。そして、大会に参加した子供たちの中から、日の丸を背負う選手が誕生することを心から願う。

 

世界共通の文化がある
未来を担う同志もいる
だからJCの可能性は無限にあるのだ

 

 

【JAYCEEのものさしとは】
どこの国や地域でもJCの活動は、JCI CREED、JCI MISSION、JCI VISIONの唱和から始まる。これはJAYCEEがJC運動の基盤となる同じ綱領や使命を確認するものであり、我々もこれを大切に守り続けてきた。
世界でもトップの組織力を誇る青年の団体を、一世紀に亘り維持そして発展させてきた背景には、このセレモニーをはじめとしたJCの決まり事を大切にする文化があったからであることは、歴史が語っている。また、そのことは同じ志をもつメンバーが国内はもとより、世界中に多く存在することを教えてくれる。全国には697会員会議所が存在し、日々それぞれの地域の問題や課題と誠実に向き合い運動を展開している。その基盤にあるのがJCプロトコルともいえる各地で連綿と受け継がれてきた所謂「決め事」である。全国の会員会議所にとってメンバーの減少や、在籍年数が少ないメンバーが多くなってきているいま、JCがJCであり続けるために、「決め事」を当たり前に行なえる文化を支える取り組みをLOM支援として進めていきたい。
全国には同じ志で歩みを進める仲間が35,000名いる。これは地域そして日本やがては世界により良い変化を及ぼす大きな可能性そのものであることに他ならない。JCの一体感や同一性を確認できる機会を会員会議所と共有することで、同じ時代を生きる青年として絵を描いていきたい。そして、共に光り輝くJAYCEEであり続けようではないか。

 

 

【同志が集う組織】
青年会議所という組織が市民から見て魅力的な組織であるのか。同志が集う組織であり続けるためには、この議論を避けては通れない。これは決して世間への迎合ではなく、我々の存在が市民にとってリーダーそして希望となっているのかを意味している。
もし、我々がビジョンを掲げ、事業を磨き、市民意識変革の運動を怠るようであれば、一体誰が時間や費用を掛けてまで青年会議所に所属する意義を見出すのであろうか。同志が集うか否かは、我々が地域の抱えている課題や問題を的確に捉えるだけの知識や見識を持ち合わせ、その解決に向けて大きくメスを入れる強い意志と実行力を持ち合わせているかにかかっているのである。ここに組織の継続・発展の核心がある。確かに組織である以上、数値的発展は質的向上をもたらすことは事実である。しかしながら、そのことに捉われすぎて、本来青年会議所のすべき学び舎としての日々の研鑽と事業をもって同志を増やすことを忘れてはいけないのである。
近年の697会員会議所の会員拡大の功績には深い敬意を表したい。全盛期には60,000名を超えるメンバー数を誇った日本の青年会議所も、バブル崩壊、リーマンショックなどの経済不況の煽りを受け、全国的に会員数が減少の一途であったが、ここにきて増加の兆しが見えてきたのは大きな成果である。2015年度も地域の特性を理解するリーダーであるブロック協議会会長を中心に、会員拡大・資質向上研修を実施していくと共に、理事長が描く事業に対しても側面的支援を行なっていきたい。
日本の底知れぬ力の源泉は地域にある。基礎自治体を支える主権者である市民を動かすのは、697会員会議所がつくる尊い運動である。我々は、地域そして日本の再興に向けて、その支援を惜しんではならない。

 

 

【市民と青年会議所をつなぐ】
ソーシャルメディアサービス等の利用者急増により、市民と接する情報媒体や情報量が飛躍的に増大している。その環境下では、単に一方的な情報発信だけでは、受け手に対して発信者側の意図が伝わりにくい時代となっている。これからの情報発信は「市民に何を伝えたいのか」ではなく、「市民をどのようにしたいのか」という発想への転換と、その目標に向けてのアプローチを設計する時代が到来している。
全国には先駆的な事例として各地に伝えたい輝かしい事業を行なっている青年会議所が数多く存在している。またそれ以外にも、国内外問わず、地域の発展のために直向きに汗を流す若者も数多くいることにも敬意を表したい。その周りには、同志のみならず市民や行政が存在し、互いに助け合い、未来という絵を描いている。問題や課題と誠実に向き合い生き抜く姿、そしてリーダーとして自信に満ち溢れた目が、その地域の希望となっているのである。これらの功績に対して、我々が主体となり日本全体で賞賛し応援できる環境、つまり市民と青年会議所をつなぐ最適な設計図をコミュニケーションデザインとしてつくっていきたい。
一人から始まった運動が、地域そして日本やがては世界を変革する。そんな可能性に市民が気づくとき、彼らもまた夢を描く青年や若者と共に、その実現に向けて一歩を踏み出すのである。
また2014年、新・日本風景論を発表した。日本には、四季折々の旬の味覚や、実用から芸術として鑑賞される工芸、思いやりと奥ゆかしさが表れたしぐさ、美しさと厳しさの中で育まれた雄大な自然など、まだ我々が知らない日本らしさが多く存在する。併せて、世界から注目を浴びるアニメやマンガ、コスプレなどのクールジャパンも現代を代表する日本らしさである。これら日本の底知れぬ力を後世のみならず世界に伝えるために、本書籍の改訂を進めていきたい。

 

評価を恐れず果敢に挑む
壮快さと秩序
両立を適えるのはJAYCEEの使命である

 

 

【青年会議所という組織】
青年会議所という組織は、各分野の第一線で活躍する異なった職種や地位の若者で構成されている。しかしながら、入会すればそのような背景は全く関係なく、公平に議論の場が与えられ、鎬を削りながら論を交わし、自他ともに修練そして成長する、そんな青年らしい潔さで満たされた道場でもある。その姿がこの組織の尊さであり強さでもあるのだ。
そのような青年で構成される青年会議所は、全国ほぼすべての地域に存在する。また地域を見渡すと、青年会議所の精神を身に纏った先輩も、各界で充実しており、我々の組織を支えてくれている。そのような状況下では、市民、行政、企業などとの関わりが深くなるのは必然であり、組織の公益性や透明性への関心度が高まるのも自然の摂理である。しかし、我々が社会からの評価を過度に意識するようでは、運動の壮快さを欠いてしまうのも事実である。つまり青年である特権を活かし、時代を切り拓く先駆者として果敢に挑む姿勢を持ち続けるためにも、この組織を支える運営の担いは大きいのである。運動と運営。この両輪がいつも互いに相乗し合う関係にあるからこそ、運動の壮快さと運営の秩序が両立する盤石な運動体を形成することが可能となるのである。
日本青年会議所の組織運営の秩序とは、公益法人として内閣府が定めた要件を始め、知的財産権や肖像権保護などの法令の要素と、形式を重んじた厳格な諸会議運営を始め、費用対効果や相対支出が適合した財政出動などのJCプロトコルの要素から成り立っている。これらすべての要素は個別で管理されるのではなく、運動の質を飛躍的に向上させるためにも、有機的なつながりをもって血液が循環していることが求められている。この循環が停滞すると、たとえ事業予算やアイデアがあろうとも、最高のパフォーマンスを発揮する運動体を形成することはできない。即ち我々は「何をする組織であるのか」を問う前に、「どのような組織なのか」が問われており、まずは人間でいう人格を形成しなければならないのである。
運営は運動を側面的に支える立場であるからこそ、誰よりも広い視野と長期的な展望をもった同志でなければならない。そして、そこには共により良い運動をつくるといった日本の心が欠かせないのである。

 

これからの半生を賭けて絵を描こう
JAYCEEの持つ潔さと誠実さで
美しい未来が訪れるように

 

 

【誠実であるということ】
JCに入会する転機が訪れる。当時、金沢に所縁がない私であったが、先輩の配慮もあり、今風で言うと入会規程の解釈の変更により晴れて一員となることができた。そして、これまでこの組織の中で様々なタイプのリーダーと巡り合えている。聡明で戦略的な人。表現が豊かで人を魅了する人。無口であるが実行力がある人。朝方まで熱く語り続ける人もある意味リーダーであった。ただ、そのリーダーたちに共通して言えることは、物事に対し誠実であるということである。この誠実さとは、人間の根源に触れる部分であるが故に誰からか教わるものではない。自らの日々の行動によって自然と身に付くものである。だからこそ、誠実に向き合っている人の姿は美しく、人々を惹き付ける魅力となっている。JCという共同体に対し誠実なリーダーが、私にとって真のリーダーであった。
志を立て自分を振り返るため、故郷を訪れてみた。昨日のように記憶は甦ってくるが、少年期大きく感じたまちは、なんだか少し小さくなったような気がした。文化は心の拠り所であり、文明は人々の希望となる。そんな理想をもってJCをやってきた私であるが、もっと国や地域に対し誠実さが必要なのであろうと感じた。

 

『人生は栄枯盛衰であり儚く、誰でも必ず衰える時が来る。その時その相手に、優しく手を差しのべ、歩み寄れる人間こそが、本当の信頼を得ることができる。』
そのようなことを教わったことがある。これは人生だけではなく、国や地域に対しても言えることなのかもしれない。

 

あなたを待つ人は必ずいる。
一度しかない人生。
リスクヘッジなJCはやめて、
もし、あなたが決めたなら、それにすべてを賭けようではないか。
この潔い思い切りこそ青年らしい。
失敗してもいい。
それどころか、どうせ失敗するなら派手に失敗しようではないか。
全てが成果であり、だからJCは面白い。
そこにJAYCEEがいる限り、
底知れぬ力をもつ日本は必ず再興できる。
必ずである。

 

すべては未来を生きる人のために。
先駆けよう、JAYCEE。
美しく先駆けよう。

 

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