世界とつながったとき、はじめてこの日本という祖国を知った。日本人としての自分を知ることが始まった。自分を知るには、鏡に映る自身の姿を認識することから始めなければならない。鏡は自分自身の心にあり、外の「世界」に触れることで磨かれる。「世界」を変えるには鏡に映る自分を変えなければならない。地域から国家、世界へとつながる空間軸、過去からまだ見ぬ未来へとつながる時間軸の交点に存在する自身の姿を思い描くことからすべてが始まる。そして世界は動き出す。そして未来は動き出す。
独立自尊という強い縦糸と、良心という優しい横糸で織りなされる織物はしなやかさを纏い、民族の将来と世界に美しい物語を生み出す。物語を織りなしていくのは形なき心であり、日本人が持つ目に見えざる資産である。
【はじめに】
人の「心」が国を創る。
歴史を振り返れば、日本という国は大きな国難のたびに進化を繰り返してきた。
私たち日本人は、多様性を受け止めながらも、基軸となるものは決して変わることなく共有し、受け継いできた「心」を守り磨きながら価値観を進化させてきた。
しかし、戦争という国難を経て、占領期以降いわば「与えられた平和と民主主義」というべき価値観にあぐらをかき、いつのまにか私たちが守るべき「大切なもの」は薄れていってしまった。世界に誇る高度経済成長を遂げつつもバブル経済や「失われた20年」を経て、短絡的で物質的な豊かさをいたずらに追い求めてしまった代償として見失いつつあるもの。それこそが国家を創る基軸となる日本人の「心」。自らを恃む独立自尊の精神と、他者を思う良心とが織りなすものである。
独立自尊とは「己の魂の尊厳を自覚し、志を掲げ、自ら生き抜く力を持つこと」といえる。個の独立がなければ、国の「真の独立」はない。
良心とは「他者のために、自己の心に照らして善悪を判断し、社会的に正しく行動する」真摯な思いである。現在という瞬間にあって、祖先から脈々と受け継いできた過去そして子孫へと綿々と連なっていく未来とのつながりを感じたときに発露される日本人の特性である。独立自尊の精神と良心は、それぞれが重要な価値を持つが、互いに高い次元で共存することで「個」を超え「公」として、はるかに尊い価値をもたらす。
この時代において私たちが基軸とすべき「心」は、先の大戦の廃墟から立ち上がり諸先輩方が創り上げた経済的成長と発展とも矛盾することなく、守るべきもののために強く、優しく、そして、しなやかでなければならない。守るべきものとは家族、郷土、祖国である。家族や公との強い紐帯から生まれるこの献身、「守る」という大義を尽くすことが日本人の強さの根底にあるのだ。
いつの時代においても世界を変えてきたのは、突き詰めればこうした一人ひとりの力なのである。あらゆる価値の根源は「個」にあるのだ。独立自尊を貫きながらも公とのつながりの中で個性を響かせあい、いろいろな時と場所で幅広く協調していく。そうした協働する仲間を増やすことができれば、私たちも世界を変えることができる。
個は「世界」を知ることで磨き続けられる。それは私たち自身が、神代以来幾千年にわたって絶えることのない皇室を奉じる日本という国を成す一人であることを知る、すなわち「国を創る」一人であることの自覚から始まる。この自覚を基に祖国を知ることは祖国愛へとつながり、祖国愛は、受け継いできた歴史や伝統文化に対する、より正確な知識とそれらを実感する原体験とを求める。こうして形成される確固たる思想や価値観、美意識は、国を超えて「世界」とつながるときにも臆することなく祖国を捉え、自らの個を磨きながら時代を変革する基礎体力となる。
目に見えぬ 神にむかひて はぢざるは 人の心のまことなりけり(明治天皇御製)
私たち日本人は、惻隠の情をもって目に見えないものの重要性を認識し、あらゆる有形無形の物ごとに神々しいまでの価値を感じ、その空間的、時間的な背景やつながりにも目を向けることができる。自らの在り方と、想いや行動が、自身を含むすべてのものや未来に影響を及ぼすことを認識したとき、それらに対して正しい行動を起こそうとする気持ちが深まる。私たちは、目に見えないものへの共感を、個を超えて人びとのより大きく、深い、持続的な新たな関係へと発展させ、公に良心を循環させる「心」ある国、日本を創造するのだ。
【「平成の建国」】
現在の資本主義は、行き過ぎたグローバリズムと投機マネーの暴走という濁流が渦巻いている。
行き過ぎたグローバリズムは能率・効率の大義を振りかざし分業体制を世界的に広げ、国と地域の個性を失わせ、経済のみならず文化や社会をも画一化してしまいかねない。各地域、各国、各民族の美しく花開いた伝統に根ざした芸術や情緒といった多様性は、今、軒並み「絶滅危惧種」に追い詰められる危機にさらされている。本来資本主義においては、資本は繁栄のために投下される、いわば手段である。それが今や、低金利競争で生まれた膨大な投機マネーの出現、株式市場でのプログラムによる超高速売買など人の顔の見えないカネがカネを生むマネーゲームの様相を呈し、世界的に富めるものはますます富み、貧困が固定化する中で、資本主義ひいては民主主義の秩序にさえも懐疑の目が向けられつつあり、一部の過激派は世界各地で公然とテロを起こしている。
そして国内に目を向けると、戦後70年を迎え、少子化、高齢化、人口減少、財政問題、火山帯・活断層の活発化、エネルギー問題など、私たちは時を同じくして降りかかってきた国家的課題に取り組む「平成の建国」ともいうべき新時代への岐路に立っている。
このような時代において、日本はどのような進化を遂げなければならないのか。
それはあたかも大海が清流も濁流も分け隔てなく併せのみ、さらに大海原となり、見渡せば青く澄み、新たな生命を生み出す、世界に対して何物にも代えがたい役割を果たし得る国である。日本人の基軸となる「心」が新しい価値の清流を生み出し、濁流をのみ込むべく進化を遂げなければならないのである。
わが国は決して閉塞しているわけではない。「日本はだめだ」と論拠もなくいたずらに自らを卑下し悲観する声を聞く。それは、現場から遠く離れ実体と向き合おうとしない者たちの虚言にすぎない。自ら行動することもなく、夢想あるいは絶望する。現場で戦う人間から見れば、どちらも無責任な妄想である。現場は楽観も悲観もしない。愚直に、だが確実に、ひたすら前に進んでいる。私たちの未来は、現場に腰を据えて現場と向き合っている人の中にのみある。
様々な困難を乗り越えながらも経済的豊かさを達成し、新たなステージを迎えようとしている日本が、次なる時代に向かって、国民一人ひとりが自らの価値基準に基づく真の豊かさを実感できるよう、また、対外的により大きな責任を果たせる国となるよう、根本的に発想を転換したうえで、新しい価値観とシステムを打ち出さなければならない。日本という国が21世紀における新しく鮮やかな「国家、社会のありかた」を率先して示すことが、世界への貢献につながる。
見えるものから目に見えないものに価値を見出すパラダイムシフト。「個」と「公」の調和という新たな価値観。成熟した文化による資本主義の進化。次世代の社会にその思想とシステムを、美しい普遍的な価値を持つ目に見えない資産として遺さなければならない。
【民間防衛力を高める】
国家とは、物理的な領土・領海・領空と、目には見えない国柄からなる。日本の国柄とは、一人ひとりの個性と自由が尊重され、なおかつ国全体として統率がとれている「和」の状態である。「和」の中に公のために自主独立した私が存在し、日本人の「心」を基軸として行動している。
こうした「和」の国柄の巧まざる魅力は外国からも感じられ、戦後の日本のイメージ改善につながったといえる。国家の一員としての一人ひとりの国民が自律と自立の精神をもって公に貢献しているということを発信し、それらを継続的に形にもしていかなければならないのである。
そのためには、まずは国家とその歴史とのつながりを意識せずには始まらない。しかしながら、国民は国家という共同体の中で生きているのに、多くは戦後の一国平和主義にあぐらをかき国際情勢の激動に目を向けず、あえて国家を意識しなくなり、国家観を喪失している。あらゆる問題の原因はここに行きつくのである。
そもそも国家同士は時として倫理も道徳も通用しない利害関係の中で激突する冷徹な現実がある。すなわち、国家が世界という舞台に出たとき、そこは国益の角逐の場となる。国益とは英語でナショナル・インタレスト(NATIONAL INTEREST)という。個々の国民(NATIONAL)につながる関心(INTEREST)として私たちは国益を常に意識しておく必要がある。日本の安全保障をめぐる環境が激変している今、私たちはわが国の確固たる国家としての意志を示さなければならない。その意志の根源は国民一人ひとりにある。国民の意思が確かでなければ、国民の意思が民意として形をなす政府も政策も確かなものとならない。自衛隊も国民の意思がなければ動けない。
だからこそ、私たちが築くべき国家は、有事のときに備えた自助の力と「防衛力」を備えていなければならない。安全保障につながる国内産業や技術を守るための消費行動や自然エネルギーの自給の意識、それらのすべては、一人ひとりの国民の無知から有知、無関心から関心という変化によってもたらされるものである。私たちは、その意識をさらに具体的な行動へとつなげ、国家に対する自信と誇りへと深め「民間防衛力」を高めていかなければならないのだ。
【真の主権回復と民度の向上】
わが国の近代民主主義において大きな分岐点となる歴史的な出来ごとが起こった。2015年5月17日の大阪市での住民投票である。いわゆる「大阪都構想」の賛否を問う投票であり、66.83%という3人に2人を上回る数の大阪市民が自らの手でまちの在り方を決めたのだ。結果は僅差で反対が賛成を上回ったが、結果に関わらずこれにより、このまちの民主主義のレベルは上がった。なぜなら多くの市民が自らの生活と直結する問題として、すなわち「自分ごと」として、当事者として決断を下したのだ。これによって、まちの在り方に対する議論が終わったのではなく、むしろこれを端緒として一段階上のレベルでさらなる議論が始まるのだ。
「この人民にしてこの国家あるなり」という福沢諭吉の言葉があるが、国民のレベルが上がれば政治家のレベルも上がり国政のレベルも上がるのである。社会変革への参画は、意思決定への参加から始まる。そこは民意とともに民度も反映されているといってもいい。
そして、国民意識の成熟を促す鍵となるのが憲法である。
憲法とは、権力者への牽制に加え、その国の価値観を明文化したものに他ならないからである。私たちは、憲法解釈の変更、改憲・護憲の議論が進む中、自身の現在の生活や未来に大きく関わるものとして、まずは憲法を深く知ることから始め、国民一人ひとりが責任を持って結論を出していかなければならない。理想の国を創るための手段として憲法を捉え、憲法改正に対して単純に賛成反対を唱えるだけでなく、立場の違いを乗り越えて日本を、国柄を考えることから始めなければならない。日本の真の主権回復は、国民が憲法について自ら決断を下す日から始まる。
さらに、2015年には公職選挙法改正がなされ、国政選挙などで投票できる年齢が18歳に引き下げられた。これにより、高校生を含む240万人が新たに有権者に加わることとなる。これは、政治に関心を持つと同時に、若いころから知識を得たうえで自分で判断をするという意味でも大きな意義を持つ。
投票率の低さは主権の放棄であり、自由民主主義の破壊である。投票に行かないことは、世界であまた見られる自由を抑圧する国とは違い、何にも制限されず民意を示せる、世界に誇るべき立憲君主国である日本国の根本を揺るがしかねないという意識を広めるべきだ。2016年は参議院議員選挙が予定されている。これまでにない斬新な手法で、投票率向上につなげるとともに、新たな有権者が政策本位の政治選択ができるようにしたい。
【国民として必要な知識と意識を持つ】
わが国は、英霊や先達が将来を案じ、身をささげて創り上げてこられたものであることを、今を生きる私たちは絶対に忘れてはならない。自国の歴史をことさらに卑下しおとしめ、先祖を否定して生きていくことは結局自らを否定することであり、わが国の文化遺産を破壊する行為に他ならない。
国家に対する意識の低さの根底にあるものは教育である。義務教育で社会人としての必要な知識を十分習得させることに、もっと意を用いるべきである。
歴史教育においては、近現代史軽視をまず変えなければならない。歴史家E・H・カーはかつて、「歴史とは現在と過去との対話」であると述べたが、現代史について十分理解がなければ過去を学んでも大きな実りを得ることはできない。
そして、日本人のルーツともいうべき建国の歴史についても深く学ぶべきである。日本の悠久の歴史は、何物にも代えがたい私たちの貴重な財産である。歴史を学ぶことは現代の私たちに大きな示唆を与えるだけでなく、先人の苦労を知ることによって、謙虚な気持ちになり、誇りを感じることにも通じるのだ。自国の成り立ちと日本国民としてのルーツ、近現代における他国との関係を知っておくことは、国際人として最低限必要とされることである。幼少期から自然に、そして自らの意志で国史を学べるような仕組みを創らなければならない。
北方領土、竹島の問題や、尖閣諸島に対し繰り返される主権侵害は明確な事実とともに国内外に示し続けなくてはならない。北方領土や竹島は理不尽な経緯で不法占拠され、今なおその状態が続いている。国民はその不法の経緯と背景について知っておくべきであるし、わが国の一部が他国に占拠されている異常な事態について、正確な知識と明確な根拠とともに、冷静でありながらも毅然とした態度を示さなければならない。
2014年、私たちはウクライナで、シリアやイラクを中心とした中東で、またアジアで、領土・領海・領空は当たり前に守られているものでないことを知ることになった。外交は時に限られた利益を取り合う力のぶつかり合いであり、集団的自衛権など、この国のあるべき姿についても世界情勢を踏まえたうえで、憲法を通じて考え、世界に示していかなければならないのである。
自国のことを語れない国民は世界では通用しないし、自国の歴史を語れない人間が他国の歴史や文化を理解することも敬意を表することもできるはずもなく、よって逆に敬意を払われることもない。自らとわが国の置かれている状況を認識し、一国民として何をなすべきかを考え、行動する国民が必要とされている。
【世界に貢献する日本】
すべての人びとが、自分たちが守らなければならないものを守りながら、空間を超えて顔の見える関係を構築し、互いの価値観の違いを受け止め、良心をもって、共に生きる世界を創ることができれば、この世界はより良く進化を遂げていく。
戦後、奇跡の復興と驚異的な経済発展を遂げた国として、日本はこれまでも海外援助をはじめ様々な国際貢献をしてきた。しかし、まだまだ民間の力を生かして、途上国の貧困や飢餓などの問題に対してできることが多くある。
国連でもグローバルコンパクトというスキームなどが打ち出され、民間の力を取り入れていこうという機運が高まっている。日本人の「心」を基軸とした持続発展的経済活動と社会貢献活動が両立するモデルを創造し広めていくことで、世界に貢献したい。私たちが行うのは、単に日本人の意識を変えるための事業ではなく、すべての事業は世界を変えることにつながる運動であるべきだ。
また、私たちの生活は、世界との関係の中で成り立っている。情報伝達手段や移動手段が進化し、時間的にも空間的にも距離が縮まり、一つの事柄が瞬く間に他者に影響を及ぼすこの時代だからこそ、人びとの確実なつながりの中での関心や共感の範囲を地球規模に拡大させ、やるべきことを共有し、行動へと移していかなければならない。
世界がより良い場所になるためには、それぞれの個人と世界とのつながりにおいて、良心に基づいた支え合いによる課題解決が必要だ。その重要な要因となるのが手段としての経済である。世界が瞬時につながる現代においては、地域や国を越えたすべての関係者が当事者となり、自身のため他者のための社会開発を、成長に持続性を与える経済的要素を加えて行っていかなければならない。
【民間外交と対外発信力】
国家間に緊張が走った際も、民間のパイプがあれば外交が完全に閉ざされることはない。日本は平和国家として武力によらず、もっぱら政府間の交渉、民間の交流で国益を守ってきた。安全保障上も民間外交は重要な役割を担っている。今後も外交は官民が連携してこそ、さらに進めていくことができる。
民間外交の最大の担い手となるのは企業である。さらに、日本の未来を考えるのであれば、企業が規模の大小にかかわらず世界を見据えて経済活動を行うことは必須であろう。私たちは、世界中に広がるJCIのネットワークも利用して、世界中の国々と日本企業のつながりを深める役割を果たしていかなければならない。
さらに、日本の対外発信力も高めていかなければならない。領土や領海、歴史問題など日本に対する様々な事実無根の情報が海外に流れている。特にインターネットに流れる情報は瞬く間に拡散し、一度目にされるとそのイメージを修正するには膨大な労力を伴い、すべてを払拭するのはほぼ不可能である。日本にとっては、それが外国語となればなおさらだ。その中で、日本に住む外国人や日本を良く知る外国人が彼らの言語にて日本の正しい情報をきっちりと流し、私たちを強力に弁護し、応援してくれている。
私たちが国際社会に共感で広がるネットワークを築いておくことが、これから日本が世界であらゆる活動をしていくうえで重要な資産となってくるのである。特に、成長著しい国々とのネットワークを築いておくことは将来の国益につながるとともに、安全保障上も大きな意味を持つこととなるであろう。
【共感を世界に】
共感とは、受け手の心に築かれるものである。
だからこそそれは一朝一夕でできるものではなく、道を究めた作り手の思想、その手から生み出される形あるモノ、それらを育んできた場所、その背景にある長い年月をかけて編まれてきた物語に共感が生まれる。
日本にはまさに成熟した文化により生み出された、共感を得られる物語がある。それらを世界中に広めることは日本に対する共感が広がることになり、いずれは大きな国益をもたらすことになるだろう。また、それらに触れた日本人も国に対する誇りを取り戻すことにもなるであろう。
外国人が日本のファンになり、日本人が日本の良さを再認識して誇りを取り戻し、さらに共感を生み出す良循環のストーリーを、世界中に広めていきたい。
【次世代社会の創造】
「平成の建国」を行ううえで、私たちが忘れてはならないことがある。
2011年3月11日、突如わが国を襲った東日本大震災。この大震災によって、被災地の方だけではなく、私たち日本人の人生が、価値観が、大きく変わった。混迷する政治、低迷する経済、無関心がはびこる社会、倫理を忘れた企業経営、閉塞した状況に追い討ちをかけたような戦後最大の危機に直面した私たちは、被災地のために何かできないか、自分に何ができるだろうか、自問し、多くの人びとが自分の無力さを感じながらも、行動に移した。
その中で、変わらなかったものがある。
忘れかけていた私たち日本人としての「心」である。あの日、自らの危険を顧みず、他者を思い、命を救おうとしたあまたの方々の献身こそ、私たちは忘れてはならない。世界が感嘆した献身を生んだ「心」を動かしたのは、つながりと共感であり、私たちは、空間を超えて痛みを感じ、自分自身のこととして刻みつけたのである。「永く続いた混迷の時代を超え、この日本という国は、新しい国へと再生することができた」と、いつの日か私たちは、次の世代に、そして、あまりにも無念に奪われてしまった数多くの方々の御霊に必ず語らなければならない。
日本列島は千年に一度の地震の活動期に入ったと言われ、いつどこで次の大震災、あるいは火山の噴火が起こるか分からない状況となった。原発事故の収束もいまだ見えず、「常在戦場」と呼ぶにふさわしい状況の中に私たちはいる。そのことを絶えず認識し、災害に対する備えや事後の初動体制を今一度整えておく必要があり、今後も被災地を継続的に支援していかなければならない。
また、日本は、先進国の中でも少子高齢、低成長という経済発展の行き詰まりの「最先端」に位置する。今後アジアの各国が発展を遂げるにつれて、次々に今の日本と同じ課題に直面する。日本は、トップランナーとして問題の解決モデルを見つけ、世界の手本とならなければならない。特に人口減少に対しては、女性が社会進出する中で、男性や地域社会と一体となった仕事と出産・育児の両立などの具体的な施策を実行していかなければならない。エネルギーに関しても、オフグリッドや地域での地産地消などの社会実験を繰り返して解決していく必要がある。
【新しい資本主義の確立】
私たちは、変革を迫られる前に変革しなければならない。
資本主義に不可欠な要素の一つは経済成長であり、新しい価値を生まない経済は、もはや資本主義とはいえない。しかし、これから問われるべきは、成長の中身がどうあるかであり、何のための成長であるのかを再確認しなければならない。成長の目的は元来国民の幸福であるべきだが、その幸福の質を問われているのである。
これからは質的成長に重点をおいたパラダイムシフトが必要である。資本主義の本質を守りつつ、進むべき未来を変える。目に見えない資本を使って、目に見えない価値を生み出す、社会全体が潤う「共感経済社会」というべき新しい資本主義を確立しなければならない。その新しい資本主義には、従来の資本主義が持っている弊害を抑制する仕組みを組み込むことが求められる。つまり、利益を追求して止まない自利と利他の精神とが調和したものに進化しなければならない。そのヒントとなるのが、日本人が古くから持つ「心」の価値観であり、日本が持つ見えざる資本が新しい考え方の方向性の柱となる。
これまでの資本主義における市場政策は、「規制強化」か「自由競争」かの二項対立に陥りがちであった。この二つをアウフヘーベン(止揚)した「企業倫理による自己規制」という第三の軸を中心に、「共感経済社会」にふさわしい市場政策を考えていく。
すでに世界にはCSR(企業の社会的責任)やCSV(共通価値の創造)という思想が広まっているが、これからは、企業やNPO、消費者、行政など、社会を構成するすべての主体者に社会と向き合った経済活動が必要とされてくる。社会起業家という自利と利他の融合が起きてきているように、第三の軸を中心とした資本主義を築き上げていかなければならない。
共感経済社会には新しい価値観が欠かせない。世界を変えていくためにも国民一人ひとりに、この新しい資本主義の考え方を広げていきたい。共感を表す一つの大きな手段として、個人が行うお金の使い方で、この国と世界に影響を与えていく。さらに、「志」に対する共感を一つに集め、一人ひとりの力を結集させることで世界を変えていきたい。
【経済の「サブシステム」の構築】
都市への人口集中は、農村部での一時的な人口減少だけにとどまらず、地方での持続可能な社会のサイクルを狂わせ、結果的に国全体の人口減少を引き起こしている。国民の幸福を目的としたはずの資本主義が、結果として望まない結末を招いているところに、まさに新しい資本主義を模索する必然性が生まれている。
私たちは、経済の仕組みを変革するにあたって、価値観と意識をも変革しなければならない。
GDPには人間の数が入らない。未来につながる子供の数も分からない。数字上のGDP成長率だけを求めている限り、簿外資産であるマンパワー、人材が細っているという日本最大の問題に対して、目を背け続けていることになる。GDPは国力の一断面しか現れず、将来にわたる国の強さや課題が反映されているとはいえない。
旧来の資本主義が世界全体の市場を駆け巡る巨大なシステムを築いている一方で、私たちは、そうしたシステムに依存しない第二の、すなわち「サブシステム」を考える必要がある。新たな資本主義のかたちとして、質的成長の象徴となってほしい。特に、食糧やエネルギー、モノやサービスの地産地消は、地域内での経済の循環を生み出すだけではなく、わが国の安全保障を担う役割をも果たす。インフラに頼らない小さな自然エネルギーや食糧の自給自足など、地域での経済循環を完結させる可能性を追求することが、「サブシステム」を構築するうえでも重要となってくる。特に地域において生活を豊かにし、有事に備えるという意味でも、国民の意識にもう一つの選択肢として示していきたい。
集団内での自分の相対的な位置づけを確認してから、果たすべき役割を考えるのが日本人の「心」である。こうした価値観を持った日本人は「サブシステム」に自らの存在を置いたとき、そこに公の価値と自らの存在意義を確立していくことであろう。
【地域の再興】
私たちは「平成の建国」に向け新しい資本主義やシステムを目指す。
それはわが国をより良き国へと変えていくためである。その根本にあるのは地域の再興に他ならない。様々な課題は地域から生まれる。課題を解決するためには、地域内、地域と都市、地域と世界、それぞれで循環する経済の流れを太くし、多様性を生かして持続可能性を生み出していかなければならない。
特に、農林水産業は地域の食糧の自給自足と、地域と都市、地域と世界を結ぶ可能性を秘めており、さらには日本全体で食糧自給率を高めることができれば、国民の食の安全・安心を高めることができるだけではなく、食糧の安全保障機能を果たすことにもつながる。
日本創成会議・人口減少問題検討分科会が発表した、消滅可能性都市の報告は衝撃的なものであった。それは単に「限界集落」の問題ではない。地域の集まりが日本国家であるとすれば、「限界集落」それはすなわち日本が「限界国家」に近づいているといえる。多様性と個性を持つ地域が活性化しなければこの国は生き残れない。集落、まち、中核都市など、それぞれが独立した活性化策を遂行することも大切だが、それぞれの関係の中で個性を発揮しつつ、あらゆる手段を講じ、地域としての活性化を図らなければならない。
国が掲げるまち・ひと・しごと創生「長期ビジョン」「総合戦略」とも合致させ、様々な政策の実現に向けた社会実験を行うとともに、地域再興の成功事例を抽出し模範例として全国に共有を図っていきたい。
【未来志向のまちと「起業家精神」】
魅力ある地域とは何だろう。
それぞれの地域が個別の実情に応じて将来を切り拓いていく時代となり、国頼みではなく、地域自体がそのあり方を追求しなければならない。
進化の本質は多様化である。それは生命の理をみれば自明である。日本が向かうべきは多様な価値観が共存する国であり、その地域の文化、思想や精神を反映した様々なものが共存する世界である。地域は、その魅力により都市を巻き込み、さらには世界を巻き込んだ「共感経済社会」を創りあげていかなければならない。
その鍵となるのが、地域の資源である。それは人、企業、行政、NPOなど様々なつながりが生み出したモノやサービスだ。モノやサービスが産み出された背景にはそれぞれの豊かな物語があり、その魅力に触れた人びとに共感をもたらす。それは、地域そのものが持つ特徴や良さを見直すことにもなり、関わった人びとに地域愛を育み、それが地域に経済的な恩恵をもたらす良循環につながる。
「まち」は記憶の集積である。自分の住んでいるまち、地域というものこそは、自分の生を超えて続いていくものであるという考え方を共有していかなければならない。若者の都市への流出が進み、地域でもかつての大家族から核家族、単身世帯への縮小が続く。しかし、今も昔も人間にはよりどころが必要である。それが故郷ではないだろうか。顔の見える範囲で何かを築いていこうとする人は増えるのではないか。単に「自分が生まれ育った地域」というだけでなく、魅力となる原石が埋まっている故郷を良くしようと行動することがもっと自然なこととなるよう、多様な価値観が共感を広げる環境を広めていかなければならない。
再度問う。魅力ある地域とは。私は、アントレプレナーシップ(冒険心や起業家精神)が発揮できる空間と定義づけたい。現在議論の進む経済特区の制度も活用して、長期的な目でアントレプレナーシップを育める土壌を創っていかなければならない。「志」が地域の主体者を巻き込み、アントレプレナーシップが生み出されていくケースを積極的に創り出していきたい。「志」の下に集まる共感という見えない資本が地域を再興させていくストーリーを創り出していきたい。そして、青年会議所のネットワークを使ってその輪を広め、この国をさらに元気づけたい。
【青年会議所の力を高めるソーシャルブランディング】
これまで掲げた理想を実現するためにも、青年会議所は対外発信力を強化し社会における存在価値を高め、社会的認知度を向上させる必要がある。
どれだけ素晴らしい事業を始めたとしても、世の中を変革できなければ運動とはいえない。まずは社会と組織のドメイン(事業領域)に対する社会的合意が必要であろう。青年会議所が何を行う団体なのか、どういった団体なのか。それに対する社会的合意がなければ、社会は変えられない。主観的に定義するドメインは、外部の人びとによって広く支持されたときにはじめて運動が機能するようになる。したがって、ドメインの機能を見る際には、社会的・相互作用的なプロセスが重要だ。
情報量が個人の処理能力を超えて情報が氾濫する現在において、まずは私たちが発信する情報を受け手に「自分ごと」として認知してもらうための仕掛けが青年会議所にも必要である。また、さらに運動へと広げるためには認知から体験のデザインが必要である。それが一人を動かし、続いて誰かを動かし、組織を動かし、社会を動かす可能性を秘めているのだ。その可能性を具体的な国民の営みへと変換していくのが、青年会議所である。
私たちの知識・関係・信頼・評判・文化は、世界に大きな共感を生み出す可能性を秘めている。リアルとバーチャルを融合させ、これまで目に見えなかったものを見えるようにし、意識の琴線に触れて行動につながるコミュニケ―ション戦略を展開し、青年会議所の社会における存在価値を高めていきたい。
【政策連携による社会実験】
世の中を変えることができるのは、志とそれに基づいて生まれる持続性ある仕組みである。そして、私たちのすべての運動は、わが国の未来につながっている。
2014年から2018年のJCI中長期戦略として、「JCIは持続可能なインパクトを創り出すために、社会の全てのプレイヤーを結束させる、中心的な役割を担う団体となる」と、組織としての方針が示された。
これからの日本は、NPOもNGOも企業も境目なく社会を支えなければならない。そのためには、青年会議所単体にこだわるのではなく、目的を果たすためであれば、すべての主体者と力を合わせて政策的に連携を深めていくべきである。より良い目的達成のために私たちは手段を選ばない。
本来、福祉と経済は決して相反するものではない。これからの時代は両者が融合しながらシステムとして進化させなければならない。人々が相互に協力しつつ社会効用の極大化を図らねばならない。その理想形が、主体者が目に見える範囲から共に助け合い、皆が自分たちの属する公であるまちや、遠くの人、未来を想い支え合い行動する、共助型、公助型社会である。
日本人としての根幹を成す「心」を育成することに加え、日本に存在する様々な課題を解決するためには、果敢に社会実験を繰り返していかなければならない。我々は現場で実際に行動することによって、現場を変える。大げさな政策を立案して提言するよりも、小さな実践と試行錯誤を繰り返すほうが、はるかに現状を変えることができる。
共感者を集めて、人びとを巻き込んだ運動を絶えず創りだしていこう。そこに経済的な循環が伴えば、持続可能性が手法に組み込まれたその運動は新たな価値観を伴い、ロールモデルとして日本中、世界中に広まる可能性を秘めている。また、青年会議所がその一連の仕組みを循環させてみせることが次につながる可能性を高める。青年会議所が行うのは助言だけの単なるコンサルティングではない。自らは独立して生計を立てながら公に貢献しようとするプロボノ集団である。そのプロとしての価値を発揮するときは、今だ。
高い情報収集能力、情報分析能力、日本中・世界中に広がるネットワーク、メッセージ発信能力を駆使しながら、先進的な課題に対していち早く社会実験の繰り返しを行い、解決策にチャレンジしていくことが、青年会議所が社会に対して果たすべき役割である。
国家を「私たち自身の生活の場」として取り戻そうではないか。国民一人ひとりの意識変革と一つひとつの課題に向けた具体的な政策とチャレンジへの共感からくるあらゆる個人や団体の協働、すなわち政策に対する連携による具体的行動がこの国のかたちを創り上げるのだ。
【私たちの心の結晶を遺そう】
祖国の国際社会への復帰と経済復興を大義として掲げ、現在の我々と同年代だった当時の青年経済人によって日本の青年会議所運動は興された。そこから今に至るまで積み重ねた実績こそが、「青年」の大義が見事に果たされたことを雄弁に物語っている。
「青年」― それはあらゆる価値の根源である。
我々は青年経済人として先人たちと同じく祖国を想い、大義を掲げ「平成の建国」における価値の根源とならなければならない。先人たちが責任を果たしてきたように、私たちも責任世代として未来にこの国をより良い形で遺していかなければならない。
私たちは、何も持たずにこの世に生まれ、何も持たずにこの世を去る。しかし、人びとの心や国に生きた証を刻むことはできる。人生の中で最も輝きを放つ青年期。我々は、青年期にこの時代を生きた証を心の結晶として遺し、今しかできない、今だからこそできることを全うしようではないか。守るべきものは何なのかを腹に据え、そのためにこの国を護り、創っていこうではないか。
失敗は受け入れることができる
しかし挑戦しないことは受け入れることができない
未来は今を生きる私たちにかかっている 永遠に続く今の先に未来があるのだから
変化は必ずしも進化を伴わないかもしれない しかし進化は変化なしにはありえない
自らが変化の原動力となり 進化の起点となり 美しい物語を織りなそう
強く 優しく しなやかな 「心」ある国 日本を実現するために