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2017年度 第66代会頭 青木 照護 所信

公益社団法人日本青年会議所 2017年度会頭所信 青木 照護

「日本道(にっぽんどう)」
風に漂う一枚の羽根のように、人は運命に翻弄され、一つの使命に辿り着く。私は、自らの使命を自分で決めたいと願い、運命に挑んできた。しかし、もがくほど己の無力さを痛感し、その度に多くの人に支えられて生きていることを教えられてきた。そして、運命という光の筋は、この世に命を宿した瞬間から、様々な人や出来事に左右されつつも、寸分違わず今を生きる自分を貫き、さらに未来へと繋がっていることに気付かされた。つまり運命とは、自ら選択し、他者によって定められるが、その全ては生まれた時から決まっているのだ。だからこそ、人生において重要なことは、運命は決まっていると受け止めつつ、運命に挑み続けることであり、死生観を持って、自分が何者を目指すのかを問い続けることである。そして、古より日本人はこの考え方を「道」という一文字で表現してきた。
「武士道と云ふは 死ぬ事と見付けたり」(『葉隠』)
武士を目指すと心に決めた瞬間から、その人の道は拓かれ、武士道を極めるための歩みが始まる。同じように、日本には道と名のつくものがいくつも存在するが、そのどれもが人の生き方に通じており、根底には「世のため人のためが自分のため」という考え方が流れている。つまり、「世のため人のためが自分のため」という未来への投資こそ、全ての日本人が目指す普遍的な生き方であり、いつの時代も日本人が目指してきた道なのである。そこで、私はこの考え方を、日本の道と書いて「日本道」と呼んでいる。そして、「日本道」こそが、日本のみならず世界に恒久的な平和をもたらす唯一無二の考え方だと信じ、「全うな日本人」を目指すと心に決めて、これからも「日本道」を歩み続けていく。

 

 

【日本の国柄】
アメリカであれば自由、フランスであれば平等というように、国家にはそれぞれ国柄というものがある。では、日本の国柄とは一体何なのか。それは「和」であると私は考える。「和」という文字には様々な意味が含まれているが、ここでいう「和」の国柄とは運命共同体という意味合いである。
日本の国史の基盤となっているのは、日本最古の歴史書といわれる古事記に記された神話であるが、神話は虚構であって史実ではないという論調も少なからず存在している。しかし、古事記を表面的に捉えるのではなく、神話が伝えようとしている核心が何であるのかを深く考察して欲しい。古事記に登場する神々の名称や地名には、稲作にまつわる文言がそこかしこに使用されており、天照大神が稲作を中心とする祭祀に従事する祭祀者であったことも記されている。また、初代神武天皇は東征を成し遂げる際に、各地に稲作(水耕稲作)を伝承してきたといわれている。これらのことから、古事記とは「日本は稲作文化の国である」という国柄を後世に伝承するために、神話という物語に編纂されたものだと私は考えている。米作りには八十八の手間が掛かるといわれ、大勢の人々が力を合わせなければ米を口にすることができない。仮に一人でも手を抜けば、収穫まで辿り着けず、全員飢え死にしかねない。さらに、予期せぬ天災に見舞われれば、一瞬のうちにそれまでの努力が水泡に帰してしまうのだ。だからこそ人々は共に助け合い、神社を設けて五穀豊穣を祈り、定期的に集まり智慧を絞った。そして、無事に収穫された稲穂は神社に奉納され、人々は祭りを催して神々に感謝し、互いの労を労ったのである。このようにして生まれたコミュニティに敵味方の関係はなく、まさに運命共同体という「和」の国柄が体現されていたに違いない。そのことを物語るかのごとく、「和」という漢字は、稲穂を食べる口と書く。

 

 

【日本人のアイデンティティと価値観】
このように稲作文化を通して継承されてきた「和」の国柄は、日本人の根底に流れるアイデンティティにも深く刻み込まれている。結論からいえば、日本人のアイデンティティとは「受け入れる」ことではなく「受け止める」ことであり、そこには自然災害大国日本という環境が少なからず影響している。
世界におけるマグニチュード6以上の地震の約20%が日本で発生しているといわれ、台風や豪雨による土砂災害、火山の噴火などの自然災害は枚挙に暇がない。このような環境下で、どれだけ自分が頑張って働いたとしても、一度の災害により田畑だけでなく命までも失ってしまう可能性がある。そこで日本人は、この人知を超えた自然の驚異を畏れ敬い、八百万の神として自然界の万物を崇めてきた。そして、自然を神格化した上で、災害を受動的に受け入れるのではなく、能動的に受け止め、未来を生きる人々のために、より強靭な国土を造り続けることで、失われた多くの命に生を吹き込んできた。
さらに、「受け止める」という日本人のアイデンティティは、「目に見えるモノ」ではなく「目に見えないモノ」を大切にする日本人の価値観へと繋がっている。「目に見えないモノ」とは、惻隠の心に代表される日本の元徳、そして地縁、血縁といった絆など、単位の付けられないモノである。
こうして培われたアイデンティティと価値観により、日本人は文化、宗教、技術の波が異国から押し寄せてきた際も、しっかりとそれらを受け止め、日本人の価値観を加えることで独自の文化を形成してきた。つまり、生まれつき日本人は、「受け止める」というアイデンティティと「目に見えないモノ」を大切にする価値観という智慧を以って、新たな価値を生み出すイノベーターなのである。

 

 

【「新現代」の黎明期】
私たちが生きていく上で、時代というものは非常に重要な要因となるため、時代観について把握しておく必要がある。1776年アメリカ独立宣言、1789年フランス革命、そしてイギリス産業革命を経て、近代という時代が始まり、日本では約150年前の明治維新以降近代へと同調していった。さらに、第二次世界大戦終結(大東亜戦争敗戦)を境に、近代から現代という時代に移り変わったわけであるが、もう既に現代という時代も終わりを告げ、私たちは新たな時代、いわば「新現代」に突入している。時代が変わるということは、優先される価値観が変わるということである。近代と現代は「目に見えるモノ」を大切にする物質至上主義であったため、大量生産、大量消費が善とされてきたが、大量生産は大量エネルギー消費からエネルギー問題に繋がり、大量消費は大量廃棄から環境問題へと繋がっていった。資源は無限だと考えてきた現代人は、これらの問題に直面してはじめて己の未熟さに気が付いたのである。では、「新現代」という新たな時代において優先される価値観とは一体何なのか。
時代は直線的に移り変わるのではなく、螺旋階段状にスパイラルアップしていく。つまり、上から見ると同じところを回っているが、横から見ると少しずつ昇っているわけである。そして、時代は繰り返すといわれるように、優先される価値観も時代を跨いで再び現れる。ゆえに、「新現代」にとって優先される価値観の答えは近代以前にある。それこそが、日本人が古より受け継いできた「目に見えないモノ」を大切にする価値観であり、この価値観を世界に広め、「新現代」という新たな時代を切り拓き、恒久的な平和をもたらすことが、辺境の島国日本の使命なのである。そして、「新現代」の黎明期を突き進む日本の両輪となるのが、「日本道」という未来への投資を基軸とした、教育再生と経済再生である。

 

 

【教育再生】
昨今行われているように、投票の仕方や選挙のルールを教えることだけが主権者教育ではない。主権を行使できるだけの格を身に付け、そして政策を見極める力を身に付けることこそ主権者教育の意義であろう。つまり、自国を誇れる国家観、他を慮る道徳心、そして国を支える主権者意識を兼ね備えた「全うな日本人」を育成することこそが真の主権者教育なのであり、日本人としての自覚と責任や品格、人と人とが織りなす社会の仕組み自体を、大人が子供たちにしっかりと伝えていくことにより、日本という国家が形づくられるのである。まさに「国家百年の計は教育にあり」といわれるように、教育は国家の最も重要な根幹であり、民主主義国家における主権者教育の果たす役割は絶大なのである。
しかしながら、現在の日本の教育には、主権者としての自覚と責任を培う教育が圧倒的に欠けている。特に、民主主義国家であり経済大国日本として足りていないのは、政治と経済に関する教育である。義務教育課程において両者についておぼろげに習うものの、日本の政治の仕組み、国民経済の仕組みについて正確な知識を持っている社会人はほとんどいないのではないだろうか。また、政治的中立性を欠いた教師による、特定の見方や考え方に偏った教育活動も依然として行われている。それゆえ、マスメディアやネットのデマゴギーによって国民の世論が大きく左右されてしまい、政府は世論に配慮するあまり、思惑通りの政策を適宜実行できていないように感じられる。「新現代」の黎明期である今こそ、国家観や道徳心だけでなく、政治、経済に主眼を置いた真の主権者教育を確立するとともに、自らの存在をかけて責任をもって子供たちに教え込む教師の人格や見識、つまり「教員力」を底上げしていくことで、世界の政治、経済そして文化をリードしていく日本の礎をつくっていかなくてはならない。
そこで政府(文部科学省)は、コミュニティスクールや土曜授業を全国的に推進しているが、制度の形骸化や担い手不足が目立ち、未だ十分な成果を得られていないのが実情である。また、学習指導要領の改訂が重ねられ、国史や国土について正しい知識を学ぶことのできる教科書も徐々に発刊されてきているが、肝心の各市町村教育委員会がその採択権を行使できず、一部の偏った思想の人々によって教科書が選定されている地域が未だ多く存在している。このような状況が続く限り、営利企業である教科書会社が「全うな日本人」を育成するための教科書製作に尽力するとは考え難い。
これら教育の問題は、教育行政そのものに深くかかわっており、一朝一夕で解決できる代物ではない。しかし、だからこそ我々が取り組まなくてはならないのである。青年会議所は、未来を見据えて種を蒔く団体である。そして、花開くのが10年先、20年先、たとえ身体が朽ち果てようと、未来を生きる子供たちのために滅私奉公することが、リーダーたる我々JAYCEEの使命なのである。まずは、国内外の主権者教育と教育行政を研究し、リアルとバーチャルを組み合わせながら、日本の教育再生を実行することで、「目に見えないモノ」を大切にする価値観を世界に広げる「全うな日本人」を育成していきたい。

 

 

【憲法改正】
日本国憲法は、1946年11月3日(明治天皇御誕生日)に公布、1947年5月3日に施行され、2017年で施行70周年の節目を迎える。日本青年会議所では、2005年、2006年に起草したJC版日本国憲法草案(JC草案)をツールとして、改憲、反改憲という二者択一の意志のない世論ではなく、明確な意志を持った輿論を形成するために、国民の憲法論議を牽引してきた。そもそも憲法とは、国家権力の暴走に歯止めを掛け、国民の自由と権利そして大切な命を護るとともに、それに見合う義務と責任を明示するために存在している。さらに、第96条に改正要件が明記されていることからも分かる通り、日本国憲法は改正を前提としてつくられているのだ。70年前と現在では、私たちを取り巻く環境は激変しており、サイバー空間や宇宙空間など、当時からは想像もつかない世界が現れ、近い将来には人工知能という新たな世界も広がってくる。このような環境下で、果たして現行憲法全103条で国民の自由、権利、命を護ることが本当にできるのだろうか。我々は決して、改憲が目的の運動を展開してきたわけではない。時代の変化に対応できない憲法と現実との狭間で、実際に困っている国民が存在しているからこそ、当然の行動として憲法改正に向けた運動を継続してきたのだ。
そしてついに、2016年参議院議員通常選挙の結果、憲政史上初めて、改憲に必要な国会議員の数が衆参3分の2以上に達するという憲法改正発議の条件が整った。答えの出ない神学論争を延々と繰り広げる局面は終わったのだ。JC草案を世に問い続けてきた日本青年会議所にとって、まさに天の時を迎えたのである。今、改めてJC草案起草の考察過程を振り返り、改憲のポイントを見定めるとともに、国民の自由、権利、命を護るために、青年としての解を示し、堂々と世に訴えていくことで、一人ひとりの確固たる意志を伴った憲法輿論を確立していかなくてはならない。施行後70年間一度たりとも改正されなかった憲法を、日本人が自らの手で改正することで、初めて自主自立国家日本を取り戻すことができるのである。誇りを持って憲法改正発議を立法府である国会に求めていこうではないか。

 

 

【自国を誇れる国家観】
国家観と歴史認識は同義であると私は捉えている。ゆえに、自国を誇れる国家観とは、日本人であることに誇りを感じる歴史認識と言い換えることができる。
日本は、古事記が示す通り紀元前660年1月1日(新暦2月11日)に橿原宮において、初代天皇として神武天皇が即位されてから、皇紀2677年目を迎える万世一系世界最古の自然国家である。これを基に我が国では、2月11日を紀元節としていたが、1948年からGHQにより廃止されてしまった。その後、紀元節は1966年6月の祝日法改正により「建国記念の日」として新たに定められ、1967年2月11日から、建国を偲び、国を愛する心を養うための国民の祝日として復活したのだ。しかし、なぜ「建国記念日」ではなく「建国記念の日」なのであろうか。この問題は、日本誕生の歴史を素直に祝うことのできない人々による、歴史認識を巡る軋轢の遺物であり、我が国が未だに、答えの出ない神学論争から脱却できていないことを象徴している。我々は、決してイデオロギーに左右されることなく、中庸を保ちながら、建国の歴史が物語る日本の国柄を子供たちに伝承していくとともに、法と証拠と正義に基づき近現代史を検証することで、自国を誇れる国家観を国民に確立し、正真正銘の「建国記念日」を確立しなければならない。

 

 

【他を慮る道徳心】
2015年3月の学習指導要領一部改訂に伴い、「特別の教科 道徳」として義務教育課程における道徳の教科化が決定した。小学校では2017年、中学校では2018年に教科書検定が実施され、それぞれ翌年4月から全面実施となる。このことは、道徳を重視するという意味において非常に意義深いことであるが、道徳を教科化すれば「全うな日本人」が育まれるのかといえば、話はそれほど単純ではない。そもそも道徳心とは、自分が何者を目指すのかという「道」の上を、右往左往しながら「徳」を積むことで培われる。だからこそ、子供たちが憧憬を抱くロールモデルの存在が必要不可欠なのである。私たちは、その任を古今の偉人たちに求めがちであるが、何よりも、子供たちの身近に居る親や教師をはじめとする大人たちが、普遍的な倫理観に基づいた立ち居振る舞いを示し、その背中で子供たちに他を慮る道徳心を伝えていくことが重要である。特に、親世代である我々JAYCEEが、言っていることとやっていることの違う、いわゆるJCゴッコの団体だと世間に評価された瞬間、青年会議所全体の社会的信頼は大きく損なわれ、道徳心を語る資格すら喪失してしまう。だからこそ、明るい豊かな社会の実現を標榜する我々は、陰徳を積み重ね、他を慮る大人の背中を伝播していくことで、社会に対して恥ずかしくない、説得力と実行力を兼ね備えた団体へと進化していかなくてはならない。
また、道徳を教科化するきっかけとなった、いじめによる子供たちの自殺問題を解決するには、いじめを撲滅することはもとより、いじめを跳ね除ける子供たちの強い精神力を育むことが重要である。そのためには、幼児期から愛情を注ぐことは勿論のこと、正しい躾をバランス良く行うことで、子供たちの自己肯定感を育んでいかなくてはならない。自己肯定感の強い子供は、物事をポジティブに捉えるようになり、成長とともに創造性と自主性を伸ばしていく。また、多様な人間関係の中で揉まれながらも、世の中を渡っていく人間関係力を培うこともできる。このように、強く優しい文武両道の人材を育成していく運動の担い手もやはり親世代である我々JAYCEEなのである。
さらに、児童虐待による痛ましい事件が後を絶たず、我が子に対する親の無関心という問題も無視できない。経済産業研究所が2014年2月に発表した「基本的モラルと社会的成功」によれば、「うそをついてはいけない」、「他人に親切にする」、「ルールを守る」、「勉強をする」という四つの躾を全て受けた人の平均所得は、全て受けていない人のそれを約18%上回ったと報告され、躾の有無が所得格差に直結していることが示された。この事実を知れば、我が子の躾に無関心だった親も、少しは関心を持つかもしれない。このように、精神論ではなく数値的根拠を活用して、子供たちの躾や教育に親の関心を惹きつけることで親学を推進していきたい。

 

 

【国を支える主権者意識】
真の主権者教育とは、政策を見極める力である「政策リテラシー」を身に付けるためにこそ存在している。勿論、国語、理科、算数も政策を見極めるために欠かせない知識であるが、子供たちに政治の仕組みを教えること、また、政治的中立性を担保した上で、選挙の意義や投票権を行使するための知識を伝え、積極的に政治に参画しようとする意欲や態度を育む政治参画教育も重要である。なぜなら、国民のレベル以上に、政治のレベルは上がらないからだ。国民が政治や政策に対して無知、無関心であれば、確固たる政策を持った政治家が鎬を削る必要もなくなり、既得権益を盾にした一部の意見が政策に大きな影響を与えることになる。特に最近では地方政治の腐敗が取り沙汰され、政治資金を巡って逮捕者まで出ている。そこで我々は、地域経済分析システム(RESAS)などを活用して、地方政治が地域の課題を正確に捉えているのか検証し、民度と政治レベルの相関性を国民に訴えていく必要がある。また、選挙権年齢「18歳以上」への引下げという時流に乗じて、小、中、高等学校等における政治参画教育を確立し、主権者として政治の在り方に関わる難しさから逃げず、考え抜き、判断し選択する自覚と責任を兼ね備えた子供たちを育んでいきたい。そして、教師のさらなる政治的中立性の確保を政府や全国の教育委員会に求めていくとともに、公職選挙法改正を視野に入れ、ネット選挙など新たな手法による投票率向上の取り組みにも挑戦していきたい。
国民が国家を意識せず、経済活動を謳歌できるのが理想ではあるが、残念ながら海洋国家日本を取り巻く諸外国には「平和を愛する諸国民」だけが暮らしているわけではなく、国民が国家に対する知識と意識を持って主権を行使しなければ、経済活動はおろか安全安心な生活を護ることもできない。そして、このような安全保障は何も防衛に限ったことではなく、日本には食料、防災、エネルギーそしてサイバーなど多岐に亘る安全保障が存在している。そこで、海洋国家日本の現状を伝えることは勿論のこと、その他安全保障についても総合的な戦略をまとめ、安全保障が如何に国民の生活に密接にかかわっているかを若年層に伝えていく安全保障教育の確立が必要である。また、産官学と連携し、安全保障と経済を結び付ける取り組みにも挑戦していきたい。

 

真の主権者教育の実現による教育再生は、教師だけでなく全ての大人たちが、運命共同体という「和」の国柄を再認識し、未来という「目に見えないモノ」に想いを馳せ、子供たちへの投資を最優先することから始まるのである。

 

 

【経済再生】
経済とは、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」という「經世濟(けいせいさい)民(みん)」に由来する言葉であり、まさに「世のため人のためが自分のため」という「日本道」に通じる言葉である。しかし、株主資本主義というシステムによって、経済の本来の意味は大きく捻じ曲げられてしまった。株主資本主義で最も重視されるのは、株価を上げることであり、貨幣という「目に見えるモノ」を稼ぐことである。そのために、社会的違法行為に手を染めてまでも、競合他社を蹴落とそうとする企業も現れている。そこには、「經世濟民」の理念はおろか、「目に見えないモノ」を大切にする日本人の価値観、他を慮る道徳心、そして「三方善」とした日本の商慣行すら存在しない。
また、時代の変わり目には革命や戦争が付き物であるが、「新現代」の黎明期である現在はどうであろうか。私は、今まさに経済戦争という第三次世界大戦の真っ只中であると考えている。先の戦争では、植民地を巡り世界中が奪い合いの戦いを繰り広げたわけであるが、今回の経済戦争では、ごく一部の企業や投資家が、国家の枠を超えたグローバリズムという仕組みを、開発途上国だけでなく先進国にまで押し付け、所得の奪い合いを行っている。幸いにも日本では、この経済戦争による戦死者は出ていない。しかしその反面、子供が生まれないという大きな被害を被っている。なぜなら、若者が子供をつくらない、もしくは結婚をしない理由の大半は、経済的不安に起因しているからだ。戦死者が出るのも、子供が生まれないのも、人口減少という意味では同じであり、むしろ子供が生まれない少子化の方が国家にとって由々しき問題である。日本はこのままグローバリズムの波に呑み込まれ、TPPと外国人労働者を受け入れれば、またも敗戦国となってしまうであろう。では、経済戦争という第三次世界大戦を終結させ、世界に安寧をもたらすことができるのは一体どの国なのだろうか。私は、それこそが我が国日本であると考える。株価や貨幣といった「目に見えるモノ」を大切にする株主資本主義ではなく、「目に見えないモノを大切にする」企業統治の仕組みを世界に広げることで、日本は経済戦争を終結させ、「新現代」という新たな時代を切り拓くことができるはずである。そのために、2016年度から始まったVSOP運動(本業を通した社会貢献)を拡充強化するとともに、子供たちへの経済教育を通して、国民経済の基本的な仕組みを理解した日本人を育成していきたい。そして、物質的な豊かさではなく、モノづくりから始まる物語づくりを通して、人々の生活の質を向上するクオリティ・オブ・ライフ(QOL)の考え方を世界に伝播し、誰もが夢を描ける日本へと進化していく戦略、戦術を国民に示していきたい。ただし、経済再生を果たし、誰もが夢を描ける日本を実現するためには絶対に必要な条件がある。それは、1998年以降約20年間続いているデフレーションからの脱却である。

 

 

【デフレ脱却】
朝鮮戦争特需をきっかけに、日本は完全雇用を実現し超人手不足の中、設備投資、人材投資、技術開発投資、そして高速道路網や東海道新幹線建設などの公共投資によって急速な生産性の向上、つまり高度経済成長を果たした。そして、バブル景気を経験し、バブル崩壊後も経済成長を続けたが、1997年の消費税3%から5%への増税により翌年からデフレに突入、経済成長はマイナスもしくは横ばいを繰り返し、現在に至るまでデフレから完全に脱却することができていない。
デフレは総需要の不足によって生じるため、脱却するためには購買意欲や投資意欲を高めていくことが大前提である。しかし、デフレ期には生産性が低下し、生産者の所得が低下していくため、個人消費や企業の設備投資も減少し、総需要が増々縮小した結果、需要と供給の隔たりであるデフレギャップがさらに拡大し続けるというデフレスパイラルに陥ってしまう。この悪循環から脱しない限り、日本は「新現代」を切り拓くどころか、自国の安全保障を維持することもままならず、グローバリズムの波に呑み込まれていってしまう。
そこで、政府はアベノミクス3本の矢として「大胆な金融緩和」、「機動的な財政出動」、「国民投資を喚起する成長戦略」を実行した。金融緩和の結果、円安、株高という好影響を金融経済にもたらしたが、肝心の実体経済に好循環をもたらすはずの財政出動が、財政再建に阻まれ尻すぼみになってしまい、成長戦略についても、デフレ促進の側面を有する「規制緩和」というマジックワードによって煙に巻かれた感がある。しかし冷静に考えれば、個人消費と企業の設備投資が落ち込む中、総需要を拡大してデフレから脱却するためには、政府支出つまり財政出動を拡大していくことが必要なのは誰にでも分かるはずである。にもかかわらず、政府は十分な財政出動をしないまま、2014年4月には消費税8%への増税に踏み切り、個人消費はさらに落ち込んでしまった。当然の摂理である。現在、アベノミクス新3本の矢が掲げられているが、我々は青年経済人として、これまでの経済政策に対する国民の肌感覚を調査し、デフレ脱却への真の財政政策を政府に提言すると同時に、個人消費と企業の設備投資に向けたアニマルスピリット喚起の運動を全国で展開していかなくてはならない。そのためには、地域から若者が流出している現実を悲観するのではなく、その分競合相手が減ってビジネスチャンスが増えたのだと、意識をポジティブに転換することが必要である。

 

 

【規制緩和】
デフレとは、モノやサービスの価値が持続的に下落していく現象であるため、デフレ期に規制緩和を行うとデフレ促進に拍車がかかる。なぜなら、規制という参入障壁を緩和することで新規参入企業が増加し、価格競争が激化した結果、生み出されるモノやサービスの価格が下がっていくからである。さらに、新規参入企業が国内企業のみであるならまだしも、外資系企業が参入して国内企業が軒並み倒産するということも有り得る。にもかかわらず、我が国はデフレに突入した1998年以降も、構造改革と称して規制緩和を続けてきた。例えば、労働規制緩和、電力自由化、農協改革、混合診療拡大など、これらは全て規制緩和である。そして、非関税障壁撤廃を含めた完全な自由貿易を目指すTPPこそ、国境という最大の障壁を取り払う究極の規制緩和である。
私は、規制緩和を全て否定しているわけではない。ただ、なぜデフレ期に断行しなくてはならないのか、なぜ外資規制などの国内産業保護措置が講じられていないのかという疑問が拭い去れないのである。まずは、日本の規制緩和にまつわる外交の歴史を紐解き、規制改革推進会議や未来投資会議などの在り方を検証していきたい。また、TPPと外国人労働者の受け入れ、さらに「和」の国柄を脅かす農協改革が国民経済に与える影響をマクロ的、ミクロ的な視点で分析し、生産性の向上のために本当に障壁となっている悪しき風習やしきたりを取り除くことで、外資に国富が盗られていくのを黙って見過ごすのではなく、逆に経済成長をもたらす強い産業構造を生み出していかなくてはならない。また、次々に生まれている構造改革特区についても実態を検証し、地域の「經世濟民」に繋がる構造改革特区申請を推進するとともに、国内産業保護に向けた社会実験を提案していきたい。

 

 

【経済成長】
高度経済成長期を振り返れば分かる通り、経済成長は、人手不足における生産性の向上によってのみ達成される。そして今日本は、総人口の減少以上に生産年齢人口の減少が加速しており、外国人労働者を受け入れない限り人手不足になることが確実である。つまり、生産性を向上することができれば、再び高度経済成長を遂げる好機を迎えているのである。
そして、デフレの元凶となっている総需要の不足を解消し、生産性の向上を達成するための秘策は、インフラ整備や技術開発への政府の投資である。特に、インフラ投資は、物流効率という生産性の向上のみならず、阪神淡路大震災、東日本大震災そして熊本地震を経験してきた自然災害大国日本における防災安全保障にとっても必要不可欠である。さらに、防災、減災については、政府だけでなく青年会議所も投資をしておくことが重要である。なぜなら、普段から地区、ブロック協議会の枠を超えた遠隔地のLOMと人的交流を行い、顔の見える関係が構築できていれば、発災直後から互いに助け合い、一人でも多くの命を救うことができるからである。そして、各地会員会議所の災害支援に関する友好関係と、ヒトやモノの往来を活性化するインフラが日本中に張り巡らされたとき、防災大国日本が確立されるのである。そのために我々は、防災、減災という共通目標のもと、各地の人的交流を促進するとともに、被災地の復興を継続的に支援していかなくてはならない。
次に、技術開発投資、特に人工知能(AI)やロボットなどへの投資は、労働者一人当たりの生産性を飛躍的に向上させる。とりわけ人工知能について、現在は個別分野でそれぞれ技術躍進を遂げているが、汎用性、適応性を兼ね備えた汎用人工知能(AGI)が現れるのはそれほど遠い未来ではない。さらに、人工知能が人間の能力を超えるシンギュラリティ(技術特異点)に達したとき、そこに如何なる世界が広がっているのかを、我々は今のうちから予見しておく必要がある。そして、人工知能とロボットという無限の可能性を秘めた技術による経済成長戦略を策定し、実際にこれらの技術を活用した斬新な事業モデルを立ち上げていきたい。
このように、日本は生産年齢人口の減少という危機を、公共投資、技術開発投資によって好機へと転換していくことができるわけであるが、政府が適時に投資を実行していくためには輿論の後押しが必要不可欠である。しかし、現在多くの日本国民は、メディアの偏向報道によって、「国の借金」、「公共投資は悪だ」、「人口減少で日本は衰退する」などといった間違った知識を植え付けられてしまっている。例えば、「国の借金」とは、主に政府の国債発行残高を指しており、正しくは「政府の負債」となる。さらに、一時期話題となったヘリコプターマネー政策の仕組みを紐解いてみれば、国債を買い込んでいる日銀が政府の子会社であることは誰にでも分かるだろう。つまり、政府と日銀が連結決算すると、「政府の負債」は帳消しになってしまうのだ。国債とは一体何なのか。家計の借金とは全く異質なものであるという認識が果たして国民にあるのだろうか。国民が国民経済の仕組みをしっかりと理解し、メディアに騙されない知識を身につけなければ、いつまで経っても政府はデフレ脱却のための財政出動を十分に実行できず、結局、国民は自分で自分の首を絞めることになる。そこで、我々はメディアに対する国民の意識を調査した上で、デフレ脱却に弊害となっているメディアの喧伝を払拭する運動を展開していく必要がある。また、日本のマスメディア(テレビ、新聞)の成り立ちを知り、各々から発信される内容を論理的に読み解くことのできるメディアリテラシー教育を、海外の事例を参考にしつつ確立していきたい。

 

日本の青年会議所には、地域経済を担う35,000名の青年経済人が全国各地に存在している。我々一人ひとりが、国民経済の仕組みを理解し、未来へ向けて、ヒト、モノ、技術に投資を行っていけば、国民の正しい輿論が形成され、デフレ脱却を実現することができるはずである。経済再生こそ青年会議所の本領発揮の場である。我々の力で約20年間続いたデフレから完全脱却していこうではないか。

 

 

【「公益資本主義」】
日本は、教育再生と経済再生を実現し、日本人の「目に見えないモノ」を大切にする価値観を世界に浸透することができれば、「新現代」という新たな時代を切り拓き、世界に恒久的な平和をもたらす救世主となることができる。そのために、我々はJCIの有する国際的なネットワークを活用し、アジアのみならず世界各国との民間外交を通して、今のうちから民間レベルでの戦略的なアライアンスを構築しておく必要がある。そして、その手段として重要となってくるのは、やはり経済である。最近、株主資本主義に代わる新たな資本主義として「公益資本主義」が提唱されるようになってきた。「公益資本主義」とは、利益を株主だけでなく、地域、取引先、顧客そして地球全体という全ての社中に還元するという考え方であり、社会全体に広く利益を還元する企業ほど高く評価される仕組みである。まさに、「公益資本主義」とは「經世濟民」に相応しい日本型の資本主義であり、資本主義の原点ともいえる。この新たな資本主義を、交通インフラなどを自国で建設できないアジア、アフリカ、ラテンアメリカのいわゆる開発途上国に浸透させることで、経済という手段を通して日本人の価値観を輸出することができる。そしてこのことは、グローバリズムという経済戦争に歯止めを掛け、開発途上国が豊かな暮らしに向けて健全に発展していく礎にもなるのである。さらに我々は、「公益資本主義」という考え方だけでなく、そこから生まれる新たな企業統治の仕組みも、グローバルネットワーカーなどのこれまで蓄積してきた繋がりを活用して世界に発信していくべきである。
また、近年日本ではサービス産業の占める割合が拡大しているが、元来、我が国はモノづくりを通して、消費者の暮らしだけでなく、人生という物語をも豊かにしてきたモノづくり大国であった。今一度、一億総活躍社会の先にあるモノづくり大国日本の復活を世界に発信することで、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)という「目に見えないモノ」を大切にする暮らし方の必要性を訴えていきたい。

 

 

【世界の中の日本】
国家と国際は両輪である。日本を知るためには世界を知ることが必要であり、世界を知るためには、日本を知っていなければならない。私たちは、近現代史に関する近隣諸国との戦争の歴史を学ぶ機会はあっても、その他の国々との外交、交流の歴史を学ぶことはほとんどない。しかし、世界には親日国と呼ばれる国々が多く存在しており、その背景には我が国との様々な交流の歴史が隠されている。そこで、「新現代」の黎明期に当たり、日本と諸外国との歴史を海外からの視点で紐解き、子供たちに世界の中の日本が如何なる存在であるかを正しく理解してもらうことが必要である。また、2013年に世界の常識では当たり前となっている特定秘密保護法が成立したが、スパイ防止法などの法律は未だ設けられていない。我々は、諸外国の諜報政策やテロリズムについて調査研究し、国民に明らかにすることで、技術や情報の漏洩、テロ行為から日本を護る国民意識を喚起していく必要がある。さらに、2015年に平和安全法制が整備されたが、その内容と必要性を正しく理解している国民はほとんどいない。自主自立国家日本にとって、本法制が如何に重要であるか、改めて国民に訴えていかなければならない。

 

 

【民間外交】
海洋国家日本にとって、近隣諸国との友好関係の構築は外交面、安全保障面において最も重要である。まず、我が国との間に北方領土問題を抱えているロシアであるが、実は親日的な国民が非常に多く、近い将来、北方領土問題が解決し、平和条約が締結される可能性も十分にある。そこで我々は、平和条約締結後の両国の未来予想図を改めて描き出し、国益と地域益の増進に繋がる戦略を確立するとともに、日ロの交流事業を通して、両国の人的、経済的交流をより一層密接にしていく必要がある。次に、中国におけるカウンターパートである中華全国青年聯合会とは30年以上の友好交流を継続し、2014年以降「日中未来友好協定」に則り相互交流を進めてきた。引き続き、情報交換並びに人的交流、地方都市間交流、人材の育成を継続していくが、2008年日中共同声明における戦略的互恵関係を深化させるべく、アジアの平和に貢献する民間レベルの協働事業も新たに模索していきたい。
そして、東アジアを中心とするアジア諸国とのアライアンスは、日本のみならずアジア全体の平和と安定に資するといっても過言ではない。そこで、アジアの中で日本が果たすべき役割を明確にし、アジアの繁栄に繋がる関係を各NOMとの間に構築していきたい。また、アジアには日本語を学びたくても学べない子供たちが大勢存在している。彼らの多くは、ただ単に言語を学ぶのではなく、日本人に教えてもらうことで、日本人の価値観や考え方をも学びたいと願っている。近年、我々は日本のファンづくりとして、日本の文化を発信してきたが、日本語こそ日本の最高の文化である。ならば、この絶好の機会を逃すことなく、ICTなどあらゆる技術を駆使して、アジアにおける日本のファンづくりを推進していきたい。
さらに、アジア以外のNOMとの友好関係構築も日本の国益増進にとって欠かすことができない。例えば、インバウンドの呼び込みに関しても、一つの地域だけで世界中に広報することは難しいが、日本JCが有する各NOMとのネットワークを活用すれば、より効果的な発信ができるはずである。このように、我々は国家青年会議所として、各地会員会議所の取り組みを海外へ発信する担いがあることも念頭に、諸会議、諸大会や国際アカデミーの機会を生かし、各NOMとのネットワークを拡充していかなくてはならない。
JCIは、国際連合(UNITED NATIONS)と国連ミレニアム開発目標(UN MDGS)をきっかけに連携を深め、2015年に国連持続可能な開発目標(UN SDGS)について引き続きコミットしていくことを金沢デクラレーションにおいて宣言した。それに伴い、日本JCは2016年度から、17項目の目標のうち「全ての人に対する、持続可能な水源と水と衛生の確保」について取り組んでおり、2017年度も継続することで、世界の恒久的な平和に貢献していきたい。そして、少年少女国連大使事業だけでなく、一人でも多くの日本の子供たちに世界各国の日常を体感してもらい、帰国してからも日本人であることの意義を考え、将来の夢を描いていって欲しい。
若者が「全うな日本人」として世界に羽ばたき、自国と同じように相手の国に敬意を払い、価値観の違いを受け止めた上で、自分の言葉で自分の考えを伝えていくことができれば、「新現代」のリーダーとして日本は世界から頼られる国となることができる。

 

 

【地域再興】
青年会議所の強みは、35,000名の会員が所属していることだけではなく、697LOMが全国津々浦々に存在していることである。日本青年会議所は、地域の課題、可能性、需要を把握することで、このネットワークの力を最大限に引き出し、より実行力のある地域再興政策立案に向けた支援を行う必要がある。そのために、政府の地方創生がもたらす効果をミクロな視点で検証、周知するとともに、施策や先進事例について、鮮度の高い情報を常に各地会員会議所に提供していかなければならない。そして、各地会員会議所には、地域再興のプラットフォームとして、日本青年会議所を大いに活用していただきたい。
政府は、2014年に「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を策定し、2015年に改訂を行った。その基本的視点の一つとなっているのが「東京一極集中の是正」である。現在、東京圏(1都3県)には約3,600万人が暮らしており、実に総人口の4分の1以上が集中するという先進国では類を見ない状況となっている。さらに、蜘蛛の巣のように張り巡らされた交通インフラがもたらす生産性の向上から、サービス産業が成長し、雇用と所得を求める若者の転入が今も後を絶たない。このような一極集中は、東京を世界一ビジネスチャンスに溢れた都市に成長させた反面、自然災害大国日本として首都直下型地震など防災安全保障について危険を孕んでいるばかりか、若者の婚姻率低下をもたらし、日本の少子化に拍車を掛けている。東京一極集中を是正し、地域再興を実現していくためには、政府の交通インフラ整備による地域経済の生産性向上は勿論のこと、官民協働による雇用と所得の創出が必要不可欠である。そのために、各地で策定されている地方版総合戦略を調査し、現場の実情を政府に届けるとともに、我々のアイデアで実際に地域再興を実現していくロールモデル地域の創出に挑戦していきたい。また、ブロック協議会ごとにJC版地域総合戦略を打ち出し、PDCAサイクルを回すことで、各市町村との政策連携を深化させていきたい。

 

 

【人材育成】
地域再興のためには仕組みだけでなく、人材育成も欠かすことができない。特に、地域経済分析システム(RESAS)などのビッグデータを使いこなし、地域の課題と解決策を導き出すことのできる人材の育成が急務である。また近年、社会の課題解決を生業とする社会起業家が多く現れており、彼らが生み出した仕組みを活用して、さらに新たなソーシャルビジネスモデルも立ち上がってきている。そして、彼らは必ずしも東京圏を拠点に起業するわけではなく、むしろインターネット環境さえ整っていれば、故郷をはじめ地方に拠点を構えることも多い。この時流を生かして、若者が地方で起業するトレンドを広めるとともに、彼らのような人間力溢れる人材と協働し、リアルとバーチャルを組み合わせて地域にヒト、モノ、技術を呼び込んでいきたい。
地域にイノベーションをもたらすのは、若者、馬鹿者、よそ者だと言われているが、各地には、馬鹿者、よそ者と呼ばれる豪傑が圧倒的に少なくなってきているのではないだろうか。ひと昔前の青年会議所には、JCの魅力を熱く語る豪傑と呼ばれる人たちが大勢存在していた。その有言実行の背中を見て多くの若人が憧憬を抱き、先輩の背中を追い求める中で自己研鑚を積み重ね、いつしか自らも豪傑へと成長していくのだ。しかし近年、豪傑と呼ばれた先達たちが軒並み卒業し、入会3年未満の会員が半数以上を占めるLOMが急増している。豪傑は豪傑からしか生まれない。ならば豪傑と出会える確率を高めていかなくてはならない。そのために、日本青年会議所には出向という仕組みが存在している。まさに、出向とは青年会議所が有する最高の人材育成プログラムである。各地会員会議所には、是非とも出向というプログラムを活用していただき、全国の豪傑たちと出会い、切磋琢磨する機会を会員に与えていただきたい。そして、LOM内の豪傑の人数を増やすことで、地域にイノベーションをもたらすディープインパクトな政策を立ち上げ、地域におけるJCの価値を高め、さらなる会員の拡大へと繋げていって欲しい。日本青年会議所としても、ブロック協議会を通して、各地会員会議所における会員拡大を引き続き支援させていただく。
また、勇気と情熱だけで社会は変えられない。社会を変革するためには、やはり英知という智慧が必要である。知識がなければ智慧は生まれない。そこで、将来LOMを背負って立つ人材育成の支援を目的に、参加者が地域だけでなく日本や世界に対する広い視野を持つことのできる国内アカデミーを実施していきたい。全国から集まった自覚と気概の溢れる会員が、自らの価値観を再認識し、互いにぶつかり合い、認め合い、助け合うことで、697LOMに自立と共助をもたらすことこそ我々の使命であり、日本青年会議所2010年代運動指針の根幹である。

 

 

【JCの価値を高める】
「JCしかない」時代から「JCもある」時代になったと揶揄されることがあるが、社会を変えていくことができるのは今も昔も「JCしかない」のである。なぜなら、青年会議所は自ら社会の課題を抽出するとともに、解決に向けた政策を立案し、自ら実行していく、独立自尊、唯一無二の政策立案実行団体だからである。我々は、立案した政策に基づき、青く愚直に社会実験を繰り返し、成功事例を全国に水平展開していくことで、地域そして日本を変える運動を生み出していかなくてはならない。そして、我々の運動が国民の共感を集め、より実行力を増していくためには、JCの価値を多角的に高めていく必要がある。
SNSが一般化し、ICTの進化によりクラウドファンディングなどのシステムが活用されている今、たった一人で発信した情報が多くの国民の共感を集め、結果的に社会の仕組みを変えることも可能となってきた。このコミュニケーションの多様化には、善悪両面含まれているわけであるが、世のため人のための尊い活動を基盤としている我々は、あらゆるコミュニケーションツールを組み合わせ、自信を持ってチャレンジングな広報メディア戦略を展開できる高いポテンシャルを有している。そこでまずは、我々のネットワークを生かして、会員や国民のニーズを徹底的に調査し、地域や日本の課題を顕在化することで、数値的根拠の伴った政策を立案し実行することが重要である。さらに、我々は独立自尊の団体だからこそ、自由にカウンターパートを選択することができる。何事においてもJCだけで事業構築するのではなく、より社会的影響力の強いカウンターパートと連携することで、持続可能かつ推進力のある政策を実行していかなくてはならない。その上で、機関誌、日本JC関連サイトそして各種大会などによる発信方法を柔軟に見直し、メディア関係者との間に構築した信頼関係も活用することで、国民の共感を広く集めていくことが必要である。
JCの価値を高めていくためにもう一つ必要なことは、会員同士のコミュニケーションの活性化である。これだけ情報技術が発達してきているにもかかわらず、全国の会員が抱えている課題や成功事例の共有が不足しているのは非常に勿体なく感じられる。ITを活用した、LOMの枠に捉われない、会員同士の情報交換や熟議が日常化されれば、役職や地域性に捉われない「ナナメの関係」を全国各地に構築することができる。このバーチャルな世界で生まれた「ナナメの関係」は、諸会議、諸大会で当事者同士が直接顔を合わせることで、リアルな絆へと変わり、運命共同体という「和」の国柄を再認識する機会になるはずである。また、地区、ブロック協議会を通して、各地会員会議所理事長同士が情報交換、情報共有できる場を設けることで、LOMの運営支援およびLOM間交流の活性化に貢献していきたい。
公益法人制度改革により、各地会員会議所は2013年までに法人格の移行手続きを終え、現在では公益社団法人、一般社団法人、任意団体の3つの形態が存在している。この内、公益社団法人に対する細かい運営規定に関しては、各行政庁によって判断基準が異なっており、全国的に統一性が見られない。そのため、公益社団法人を選択したLOMの多くが、制度を遵守する代償として、組織運営に支障をきたしている。そもそも、JCの考える「公益」と本制度改革が求めていた「公益」とは、根本的な意味合いが異なっていることに問題の原因がある。元来我々は、法人格にかかわらず「社会の公器」ともいうべき、世のため人のための政策立案実行団体なのである。今一度、各行政庁の判断基準を調査した上で、本制度改革がJCにもたらした功罪をまとめ、日本青年会議所自身が被験者となり公益社団法人格維持の是非を全国に知らしめるとともに、JC独自の法人格立上げを見据えた法改正を立法府に提言していかなくてはならない。これはJC全体のブランディングにも繋がる運動であり、まさにJCの価値を高める運動そのものである。

 

 

【「一期一会」】
戦後まもなく、日本経済の発展を目指し立ち上がった各地会員会議所の相互連絡と、国際青年会議所(JCI)への加盟による国際社会への復帰を趣旨として、日本青年会議所が設立された。その僅か3か月後、1951年5月、たった7名のメンバーで第6回JCI世界会議カナダモントリオールへ必死の覚悟で飛び込み、日本青年会議所は、日本の民間団体としていち早く国際組織への加盟を果たした。日本が本来の主権を回復した1952年4月28日以前の話である。先人たちの未来を描く情熱と実行力には、我々の想像を絶するものがあった。この創始の精神は、単年度制の枠組みにおいても、「不連続の連続」として連綿と現在まで護り続けられ、青年会議所の社会的信頼を確固たるものとしている。だからこそ、その先端に立つ我々は、先人たちの覚悟に恥じぬよう、明るい豊かな社会の創造のために、JCという大いなる遺産に秘められた力を最大限に発揮していかなくてはならない。まさにJCというのは、今を生きる我々に託された社会変革のためのツールなのである。
「新現代」の黎明期である今、かつての先人たちのように、我々は未来への夢を描かなければならない。そして、目標へ向かって我武者羅に突き進み、国民の意識変革を促す実行力により未来を切り拓いていかなくてはならない。目指す目標は明確である。
教育再生により、自国を誇れる国家観、他を慮る道徳心、そして国を支える主権者意識を兼ね備えた「全うな日本人」を育成していこうではないか。経済再生により、デフレ脱却、経済戦争の終結、モノづくり大国日本の復活を成し遂げていこうではないか。そして、誰もが夢を描ける日本へと回帰していこうではないか。世のため人のために「死ぬ」か「生きる」かの選択を迫られた時、一片の迷いも無く死を選ぶことが、滅私奉公という武士道の神髄であるように、「やる」か「やらない」かを迫られた時、即座に「やる」を選択するのがJCの神髄である。今という一瞬は二度とはやって来ない。そして、あなたがやらなければ誰もやらないのだ。「今しかできないことがある、自分にしかできないことがある、だから今自分がやるんだ」という「一期一会」の覚悟を持って自らの運命に挑もうではないか。
あなたが持てる力の全てを出し切ったとき、初めて自分の無力さを悟るだろう。そして、あなたは本当の人の有難さを知ることとなる。その時初めて、あなたは本当の強さを手に入れることができる。「目に見えるモノ」は全て無くなる運命、ゆえに自己成長こそ人生最高の喜びである。自己成長を求め、共に「日本道」を歩もう。
我々が時代を求めているのではない。
時代が青年会議所を求めているのだ。
青年会議所は斯くあらねばならない。
誰もが夢を描ける日本へと導くことが、国家青年会議所の使命である。
日本を1MMでも動かすために、今こそ「一期一会」の覚悟を持って唱えよう。
「日本を変えるのはオレたちだ!!」

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