日本といふ國では、古来より自然に存在するすべてのものに神が宿っているとされ、我々日本人は、八百万の神々に感謝と畏敬の念を抱き続けてきた。万物に感謝するという精神は、日本人の根幹を成す「和」の精神性であり、自らの幸福感を高め、人生を肯定的に評価できるようになり、世界をより良い道へと導くことができる精神である。そして、世界をより良い道へと導いていくためには、志を立て覚悟をもって挑戦し続けていかなければならない。即ち、誠を尽くすことである。だからこそ私は、万物に感謝の心を以て、公に誠を尽くす。
生きることに満足したいなら、自らの運命を愛そう。自らが愛した運命は、己の道となり、未来を切り開いていく力へと柔軟な変化を遂げる。世界すら変えられるその力を、私は希望と言う。
【はじめに】
志を立て覚悟をもって挑戦するということを、私は青年会議所という学び舎で知る。入会以前の私の挑戦は、敷かれたレールをただただ歩んでいたに過ぎない。失敗を恐れ、周囲の評価を気にかけ、自らを曝け出し物事と正対することを避けていた。誰よりも自らが己の可能性を閉じ込めていたのだ。類を見ない天災に見舞われ自身も窮地に立たされているにもかかわらず、自らの利より地域のため、人のために命をかけて行動する同志の姿、侃侃諤諤と子供たちの未来のために本音で語り合う同志たち。そこには覚悟があった。私はこの学び舎で自らの理を知り、そして何より志を立て覚悟をもって挑戦することを学んだのである。
自らの運命と向き合った時、いずれ訪れる死という宿命から逃れることはできない。幼少期、影響を受けた恩師の死という現実の理解に苦しんだ。指名を受けて泣き叫びながら弔辞を捧げたことは今でも忘れられない。そして、青年期には、友人の死を目の当たりにした。志半ばで不慮の事故により亡くなった者もいれば、自ら命を絶つ者もいた。
人間とはなんぞや
人間が生きるとはなんぞや
第2次世界大戦が終結(大東亜戦争敗戦)を迎えて間もない頃、欧米列強諸国から伝えられた一神教の存在に強く影響を受けた神道の存在が大きく捻じ曲げられ、否定すらされた時代に、小さなお宮の息子として生を授かった父は、神主としての宿命を背負い生きることに苦しんだという。将来に不安を感じた父は、地域の守り神を祀り地域の人々の幸せを願い祭祀に勤しむ神主という運命を受け止めると同時に、地域社会の発展を「志」に掲げ、実業家として自ら未来を切り開くと決めた。父の教育関連事業の創業と刻を同じくして私は生を授かった。幼少期の私には、創業期と青年会議所活動が重なり多忙であった父とほとんど一緒に過ごした記憶がない。少年期には事業が軌道に乗り始め、讃えられる父と比較されることに嫌気がさし、何をしても思うように物事が進まず、失敗することを恐れて保身に走り、現実から目を反らしていたことがある。もがき苦しみながら、自暴自棄に陥り、時には自らの存在を否定し、命を絶とうと思ったこともあった。要は、ただの甘えである。今振り返ると、時にぶつかり合いながらも、その都度正面から向き合ってくれた父の愛情に、私は何度も助けられていたのだと感じる。そのような矢先に私は奇跡に遭遇した。スポーツ不毛の地という雪国で、誰しもが反対し、不可能だと言われたプロサッカーチームの成功である。有料でのスポーツ観戦が当たり前ではなく、プロスポーツチームは大企業が支えるということが常識だと言われている時代に、無数の市民が一つになって、まるで燃えあがる祭のように地域が息づいている場面を目の当たりにしたのである。満員で溢れかえるスタジアムにて、地域の人々の心が「和」となってつながり、様々な奇跡が運命的に起こったのである。まだまだ生きる目的が定まっていなかった私は、その光景を目の当たりにし、ただただ涙が溢れ出し、己の小ささに恥ずかしさを覚えた。たった一度の人生において、いつか死を迎えるという宿命と己の運命を重く受け止め、「世のため人のためにこの人生を捧げる」という使命を自覚し、自ら未来を切り開いていくと決意した瞬間でもあった。これが、私という一人の人間の人生を綴った物語の一篇である。
【「日本といふ國」の使命】
日本は、古事記、日本書紀に代表される神話が存在する国である。神話には、平定の世を治めるために宮崎の地に天孫が降臨し、自然界に存在するすべてのものに神が宿っているとされ、八百万の神々への感謝と畏敬の念が著されている。日本人のものの考え方には、「和」の精神が根付いている。「和」の精神とは、誰とでも仲良くするということではなく、波風を立てなければ良いとか、自分を押し殺し相手に合わせれば良いということでもない。
和を以て貴しと為し、忤ふること無きを宗とせよ (十七条憲法)
「和」とは、それぞれが力を発揮して、調和がとれている状態のことである。これは新しいものを生み出す大きな力となるが、「和」を実現することは容易ではない。人である以上、個性と個性とのぶつかり合いが多くなることが、世の常だからである。新しい大きな力を生み出すためには、調和を図り、相手や状況に応じて柔軟に対応していくことが求められる。自然の様々な現象に調和を見出し、自然と調和して生きるように心がけてきたのが、日本固有の精神性なのである。何かの計画を実行するとき、互いを信じて取り組んでいると、初めは不可能かと思えたような課題でも、信じられないほど解決の糸口が次々に湧き出てくる。調和は集団を一体化し、単なる要素の総和を越えた創造力を生み出す。すなわち、日本といふ國は、自己主張や利己心を慎み何事も譲り合いながら、「和」の精神を尊ぶ世界で稀有な国家なのである。そして、この「和」の精神性こそが、世界の手本となることで、宗教と思想の対立を超えた真の世界平和へ導いていけると私は考える。
【平成時代の終焉】
我が国は、平成時代の終焉を迎えようとしている。現在の経済状況はというと、バブル経済崩壊以降、低成長の続くこの30年を指して、「失われた30年」という人もいよう。思えばこの30年で日本を取り巻く世界の環境は大きく変化した。
まず、グローバリズムの進展である。かつての先進国市場は、G7の5億人の市場であった。東西冷戦終結後、一気にEUは拡大し中国、ロシアなどの新興国も経済成長を遂げ、G20の40億人の市場が誕生した。一方で、製造業の生産工程はモジュール化し、それぞれのモジュールの世界最適国で生産がなされ、製品化されるようになった。日本のメーカーは、次々に製品のトップシェアを奪われ、苦境に立たされる場面が増えた。
そして、株主価値経営の浸透である。上場企業の株式の外国人持ち株比率が急増し、売上やシェア至上主義の経営からROE、ROAを重視する経営へと移行した。経営者は従来の取引慣行の見直し、雇用システムの流動化、不採算部門や資産の売却などを迫られた。一方で、国際的アライアンスやM&A、外国人取締役の選任なども目立ってきた。
さらに、デジタル化、ICT化の進行である。情報は世界中を駆け巡り、技術のキャッチアップも容易となった。新たな技術の登場によって短期間に市場そのものが消滅する時代となった。経営は常に次の変化を読み、新たな決断をし続けなければならなくなったのである。
こうした大きな3つの経済変化の潮流の中で、日本と日本人が翻弄されてきたのが平成の30年間であった。今にして思えば、「平」らな「成」長率以外は、激動の30年であった。
我々青年は、新たな希望の光を見出さなければならない。この平成時代の終焉を必ずや次世代の日本の繁栄の礎とすべく、「和」の精神性を主軸としたナショナリズムの醸成と経済大国としての復権、そして国際社会との日本的な融合を果たし、愛と希望溢れる国 日本の創造に向けて、全身全霊を傾け歩んでいこうではないか。
【政策立案と社会実験】
我々は、より良い社会へと導いていくために、政治を動かし社会を変える“政動社変”の精神を身に纏い、政策を立案し行動に移していく必要がある。そして、多くの社会問題を解決するべく運動を展開していくことが肝要なのである。我々が生きていくにあたり、必ずや解決していかなければならない社会問題は存在する。社会問題を解決していくために、スピード感をもってPDCAを繰り返す。今考えられる最良の仮説を考え抜き、一つひとつ経験を積み重ねながら学び、戦略・戦術を修正していく。これを素早く繰り返す。どんな仮説にも想定内の結果と予期されない結果があることは、世の常であり、有効な手段を見つけるまで、何度でも試行錯誤を続けていくことが大切なのである。諦めてはいけない、思考していくことを絶対に停止してはならない。そして、最良の解決方法が見つかったとき、それを仕組みとして組織化していくことで、より良い未来へ導いていけると確信している。これが、公益社団法人日本青年会議所2018年度に推進していく運動・活動の普遍的な行動指針である。
【経済再生で日本創生】
デフレから完全脱却するために、経済を再生することが必須であり、引き続き政府に対し財政出動を訴えていく必要がある。平成時代の終焉を迎えるにあたり、デフレーションから完全脱却を果たし、希望溢れる未来を次世代に引き継いでいかなければならない。経済とは、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」という「経世済民」に由来する言葉であり、世のため人のため、日本の未来のために投資を行っていかなければならないのである。
昨今、財政出動を行うにあたり、プライマリー・バランスの維持が争点となっているようだが、デフレ期においてプライマリー・バランスの黒字化に固執することは、国家の衰退を招きかねない。国民が未来に対して不安を抱え、民間レベルでの未来への投資が手控えられている状態では、増税や政府支出の抑制は経済に対して想定以上のマイナス効果をもたらすのである。デフレ期にプライマリー・バランスの黒字化を求めるのではなく、まずはデフレからの完全脱却を果たし、国民の将来への不安を一掃し、希望溢れる未来を描ける状態にしなければならない。デフレの元凶である総需要の不足を解消するための政策は、やはり一刻も早い社会開発投資である。つまり、インフラ整備や技術開発へ政府の財政出動を促していかなければならない。災害大国日本において、インフラ整備による国土強靭化は不可欠であり、防災安全保障にとっても重要事項なのである。2017年度も提言を繰り返してきたが、インフラ先進国であるイギリスやドイツと比較すると、日本におけるインフラ整備は発展途上であり、インフラ後進国と言っても過言ではない。インフラを強化し、国土強靭化を推進することは、地域間連携において新たな可能性を広げ、地方創生を促し、日本創生を果たす上でも最重要施策なのである。
災害大国日本において、もう一つ取り組んでいかなければならない喫緊の課題がある。人的ネットワークの確立である。大規模災害発災直後には、素早く情報を収集し、混乱を招かないためにも正確な情報を発信し、的確な災害支援をしていかなければならない。そのために、今まで経験を積み重ねてきたノウハウを検証し、防災・減災体制のあり方も整えておく必要がある。そして、総合調整機関としての役割を果たし、各地会員会議所をはじめ関係諸団体との人的ネットワークをあらかじめ構築していくことも必要なのである。被災地に心を寄せ、風化させることなく支援を継続していこう。
【事業創造で日本創生】
2014年5月に民間有識者団体・日本創生会議は、全国の地方公共団体のうち約半数は人口減により将来消滅する可能性がある「消滅可能性都市」であると発表した。これを受けて政府は、同年9月、まち・ひと・しごと創生本部を設置し、今日に至るまで地方創生に資するあらゆる施策を打ち出してきた。特に地域における雇用創出は、最重要課題となっており、地域における起業の支援、あるいは地域中核企業のイノベーションの促進、老舗企業の第二創業支援、経営状態が悪化した企業の再生による雇用を維持するための施策等を打ち出していく必要がある。
我々には全国津々浦々に696もの会員会議所があり、それぞれが事業創造意欲のある若手経営者の集団である。この貴重なネットワークを活かしながら、政府・地方公共団体と連携して、それぞれの地域にあった有益な情報を共有しつつ、地方創生を牽引していく主体として、自覚をもって事業に取り組んでいきたい。こうした政府の地方創生に関する施策の情報は、日々のビジネスに忙殺される地域の中堅・中小企業の経営者にはなかなか届きにくい。そこで、政府の成長戦略、規制改革、国家戦略特区、官民ファンドなど、内閣官房の主要施策をはじめ、各省庁の主な審議会での議論など、日本最大のシンクタンクである霞が関の有益情報をいち早く理解し、全国の同志たちにわかりやすく伝達する必要がある。我々は、既に業界団体や商工会議所など、様々な情報チャネルをもっているが、青年の視点で中長期を見据えた施策には特に注意を払い、積極的に関与していきたい。
また、青年会議所に入会したからこそ、自らの事業を成長させることができたと熱く語る先輩諸兄が多く存在する。グローバル社会で活躍する人財や、脈々と続く老舗企業を成長させた人財など、多くの先輩諸兄から学び、我々も青年経済人として、中小企業経営者として大きく成長し、自らの営みを進化させ、地方創生を果たしていかなければならない。
【人財マッチングと少子化対策】
2018年より全国で18歳人口の減少が始まり、特に地域においては今後急速に人口減少が進むと言われている。各自治体でも、まずは未婚率の上昇や晩婚化を食い止めようと、出会いの場の設営などの施策を積極的に行っている。我々青年経済人としても、従業員の育児休暇の取得や時短、残業の削減など子育て環境の改善を中心に協力できる分野もある。少子化は様々な要因が複合的に重なり合い、結果として生じる現象である。少子化対策に成功している自治体や地元の会員会議所から情報を得て、青年会議所としても効果的な施策を模索していきたい。また、大都市圏で活躍する経験豊かな人財に、地域で働く魅力を伝え、最大限の活躍が見込まれる地域と結び付けていくことも必要である。
【技術開発投資~イノベーションとシンギュラリティー~】
SOCIETY5.0は、狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会に次ぐ第5フェーズの社会を意味し、サイバー空間とフィジカル(リアル)空間が高度に融合した「超スマート社会」の到来を告げている。第4次産業革命の第1幕であるネット上でのデータ競争では、プラットフォームを海外勢に握られ、日本は苦戦を強いられているが、第2幕であるリアルデータを巡る競争では、何としても主導権を握りたいところである。
そのためには、良質なデータの集積が必須であり、データを提供する消費者や企業、行政、さらには社会全体の理解と協力が必要となる。しかしながら、AI(人工知能)、IOT、ビッグデータ、さらにはロボット・テクノロジーといった新しい技術への理解はなかなか困難であり、社会のコンセンサスは得られにくい。そこで、我々青年経済人が率先してこれらの新技術の動向を理解し、社会のコンセンサスづくりへ積極的に貢献していく必要がある。特に、AI技術は、シンギュラリティーと言われる人間の能力を超越する瞬間が早晩訪れると言われており、人間社会を脅かしかねないとの不安が付きまとっている。技術というものは使う人間の人間性によって良くも悪くも利用され得るものである。科学技術の進歩は、決して止めることはできない。それを如何に良き社会へと活かしていくかは人間次第である。
【地域ブランドと日本ブランド】
地域経済が潤うためには、地域で生み出される産品や自然・風景など地域自体の持つ価値に特別なプレミアム感を持たせる必要がある。いわゆる地域ブランドの価値化である。そのためには、農林水産品や工業製品であれば厳格な品質管理と市場選別、インバウンドを含む観光ビジネスであれば地域全体で取り組むイベントやサービスの差別化が重要となる。これらはなかなか一企業の努力では実行が難しい事業である。そこで、各地会員会議所がブランド化のプラットフォームになり、行政や市民の架け橋となって、地域ブランド化を成功させる原動力となり得るのではないかと考える。
また、地域ブランド化が成功した暁には、今度は世界を相手に売り込み、市場を拡げる必要がある。その際は、JCIのネットワークを十二分に活用すると同時に、同種類の各地域ブランドを統合した「日本ブランド(ジャパン・ブランド)」としての売り込み方も重要となってくる。国も2016年よりJETRO等を介して日本の中小企業の製品の海外輸出を後押しするプロジェクトに力を入れている。農産品や観光ビジネスも含めて、積極的に取り組んでいきたい。
【教育再生】
教育は国家百年の計と言われるように、一朝一夕に結果がでるものではない。日本の教育のあり方も、時代を通じて大きな課題として常に問題視されてきた。
日本の戦後教育において、占領政策の影響から捻じ曲げられてしまった、政治、宗教、神話などの立国や愛国につながる歴史教育、祖先や親を敬い愛情溢れる「家」的道徳や他を慮る道徳心、主権を行使できる格を備え、政策を見極める力を身に付けた主権者教育など、全うな日本人を育成する教育再生が急務である。また、トランプ大統領がしきりに大統領選以降のメディアの偏向報道について批判を行っているが、日本でも政治とメディアの報道の自由との間でたびたび議論が起こっている。いずれにせよ、有権者である我々自身がメディアの情報を鵜呑みにせず、正しい情報を選り分けるメディアリテラシーを身に付ける必要があろう。
学校教育の場でも、そうした能力を身に付けさせるための方策を考える時期に来ている。欧米諸国では小中学生までも政治について学び、実際の政策の是非について討論を行っている。政治に対して正しい批判的態度が取れるよう、教師が公正中立に各政党や候補者の政策説明を行い、子供同士の議論の手助けをしているという。それが強固な民主主義の基盤となると考えているのである。我々青年会議所も引き続き公開討論会に加え、こうした子供たちに対する政治教育を行うことが必要であると考える。
【次世代教育の推進】
初等教育においては、2004年12月に前年の国際学力調査(PISA)の成績が公表され、日本の義務教育修了時の15歳の学力が大幅に低下していることが明らかとなり、いわゆる「ゆとり教育批判」が巻き起こると、2008年までの指導要領の改訂により「ゆとり教育」に終止符が打たれた。しかしながら、従来型の暗記中心の入学試験のあり方は余り変化がなく、実際にグローバル社会の場面で使える英語力、議論や交渉に耐え得る論理力やプレゼン力、そしてクリエイティビティを育むような発想力、加えてICT化に呼応したプログラミング力が求められているにもかかわらず、対応は遅れていると言わざるを得ない。
一方、高等教育はというと、政府も指標として重視しているイギリスの教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)の世界大学ランキングにおいて、2015年に東京大学が初めてアジアNO.1から脱落し、2016年には4位、2017年には7位にまで落ちている(世界では39位)。また、政府からの助成金は毎年約1%ずつ削られており、35歳以下の若手研究者は半数以上が非正規雇用者で占められている。さらに、産官学連携もようやく緒に就いたばかりであり、そこからイノベーティブな新技術がなかなか生まれてこないのが現状である。リベラルアーツも引き続き継続しながらも、一部の国際競争力のある研究を行なう研究型と、より実務能力を重視した実践型に峻別していかなければならない。
まさに、2018年は18歳人口の減少が始まる年だといわれている。生産年齢人口の減少が進む中、国際社会での生き残りをかけて、経済成長を維持するためには労働生産性を高めなければならず、その意味でも教育の重要性が問われている。我々青年経済人こそ、各地域において、率先して地域の知的財産というべき地元教育機関と連携しつつ、それぞれの特色を活かしながら、産官学連携体制を構築していく必要がある。
【憲法輿論喚起とスマートな防衛のあり方】
いよいよ憲法改正の是非について、これから改正案の中身の議論へと進みつつある。我々青年会議所も2005年から憲法草案をまとめ、世に問うた訳である。あれから12年余りが経ち、与党が国会議員の3分の2を超える議席を占め、憲法改正の発議が可能である今、改めて発議の争点に関しての議論を深め、後世に対し、日本人として誇りをもてる憲法にしていく必要がある。憲法改正議論の中で、最も重視されているのが、憲法第9条である。東アジア情勢が緊迫化し、周辺有事だけでなくミサイルの飛来による首都東京への直接攻撃の可能性が否定できない中、自衛隊の重要性はますます高まっている。そのような中で、自衛隊の存在をしっかりと憲法の中で位置付けし、役務の危険度に応じて必要な体制を認めていくことが、隊員たちの士気と安全性を高めることにつながるのである。
自衛隊の海外派遣に関しても駆けつけ警護を含め、いよいよ危険度の高い地域での活動が要請されるようになる可能性が高い。現地での危険情報を矮小化して扱い、隊員に軽武装のまま現地で任務にあたらせ、彼らにのみ生命のリスクを負わせることがあってはならない。ハイテク機器も活用して、精神論と人海戦術に頼るだけではないスマートな防衛体制の構築を、我々もサポートしていく必要がある。
【リベラル・ナショナリズム】
近現代において、グローバリズム、あるいはそれと特に深く結び付いた概念であるリベラリズムの流れの中で、マネーが世界中を自由に駆け巡っている。特に今世紀に入り、新自由主義的な政策が各国政府の主流となる中で、貧富の差の拡大が顕著になり、中間層の生活が厳しさを増すようになってきた。そこで、彼らの支持を背景に米国のトランプやフランスのルペン、あるいはEU離脱を決めた英国の保守層などにみられるようなナショナリズムが昨年来から復権し始めた。特にトランプ大統領の言動を見ていると、不法移民排斥、イスラム教徒の抑圧、TPP離脱にみる保護主義貿易化など、これまでの世界のグローバリズムの動きに逆行する政策を次々に打ち出している。米国にはこうした旧来型ナショナリズムに反対する若者や知識層も多いと聞く。
このグローバリズムと旧来型のナショナリズムの相克を踏み越えることはできないものであろうか。そこで注目したいのが、「リベラル・ナショナリズム」という政治哲学の一潮流である。この言葉は1993年にイスラエルの政治哲学者であり、のちに教育相となるヤエル=タミールが最初に用いたと言われる。この相反する二つの概念を結合した言葉が、米国における多文化共生を包含する考え方の一つとして注目されてきている。
リベラリストが価値を置く自由や人権、平等といったものを現実社会で担保するためには、その前提として国家という運命共同体意識、すなわちナショナリズムがなければ、実現し、維持し得ないというこの考え方は、これからの日本の保守主義のあり方として、また、日本の国柄である「和」の精神性と照らし合わせても、我が国と親和性が高く、価値のある概念だと捉えられる。「リベラル・ナショナリズム」という新たな概念の下、国家と国際社会との日本的な融合を目指すことができるのではないかと思う。
【公益資本主義】
今から150年前の1868年(明治元年)11月、フランスから戻った渋沢栄一は、徳川慶喜のもとに馳せ参じ、日本で初めての組織的な株式会社の形であると言われる「商法会所」の設立を建議、翌年1月には設立に漕ぎ着けたという。その後、渋沢の手掛けた会社は500社に及び、その著作「論語と算盤」という名の通り、利益だけを追求するのではなく、商道徳に適った経営を行うことを強調したのである。その後、渋沢は600を超える福祉事業にも関わることとなった。
一方、100年前の1918年に自ら大阪にて起業したのが、松下幸之助である。日本で初めて週休二日制を取り入れたり、従業員のために企業内病院を設置したりと、社員の福利厚生に心を砕いた。さらに、全国47都道府県にあえて工場を設立し、地域の雇用対策に一役買っている。また、40年前の1978年8月、日中平和友好条約が締結され、同年10月、鄧小平が大阪のTV工場を見学、松下に中国の近代化に協力して欲しいとの依頼をし、全面協力することを約束した。そして、その9年後に中国における日系合弁企業第一号として北京にTVのブラウン管工場を設立、松下電器の名は「井戸を掘ってくれた友人」として中国国民に広く知られ、愛されることとなったのである。
こうした渋沢や松下の行動は、一経営者や一企業が私利を意図してとられたものでは毛頭ない。彼らは、他利、あるいは公益を考え、意を決しリスクを覚悟して行動したのである。我々青年経済人も、こうした先人に恥じぬように、目に見えるものを大切にする株主資本主義ではなく、目に見えないものを大切にする公のための資本主義の仕組みを考え抜き、2016年から取り組んでいるVSOP運動(本業を通した社会貢献)も引き続き展開していくとともに、従業員や取引先、地域や国家、国際社会のために公益を増進すべく国内外において運動を展開していこう。
【国際社会で活躍する和衷協力の精神を兼ね備えた人財の育成】
日本は、国際社会と相互に関連し複雑に依存し合っている。世界の平和と繁栄なくしては、我々が住まう日本の安寧もありえないのである。東日本大震災による被害の大きさに絶望を感じながらも、礼節を重んじ、他を慮る心をもって復興に取り組んでいる日本人の精神性が世界から賞賛されたことは、記憶に新しい。国際社会の一員である我々は、新たな刺激や価値観を創出する機会に積極的に関わらなければならない。恒久的な世界平和の実現に向けて、継続的に取り組んできた日ロ、日中との関係構築はもちろんのこと、青年会議所のネットワークを存分に活用し、世界各国との対話を推進するとともに、心を合わせて国際交流を積み重ね友情を育みながら、お互いを尊重することによって相互理解を深めていく必要がある。そして、国際的な視野を醸成し、積極果敢に国際協力や国際問題に取り組むような世界で活躍するリーダーを育成していかなければならない。また、世界には、現に貧困に苦しみ、紛争に巻き込まれている何の罪もない子供たちがいるという現実を理解するとともに、日本に住む子供たちにも国際社会が抱える問題に取り組む機会を提供し、将来的に国際機関へ「和」の精神性を兼ね備えた人財を輩出していく必要がある。
【世界との普遍的なつながりの創造】
明治維新150周年を迎えるにあたり、九州は鹿児島の地でJCIアジア太平洋地域会議が開催される。鹿児島は、世界的に稀有な社会改革「明治維新」を導いた多くの先人たちの出身地であり、幼少の頃から郷中教育によって正義と心のやさしさを学び、溢れる希望と爆発的な行動力をもって現代日本の創造に大きな役割を担ってきた。
世界では134の国と地域に青年会議所が存在し、内容は違えども同じ志をもって活動している仲間が約16万人在籍する。なかでもアジア太平洋地域においては、約10万人と最大の会員数を誇る。21世紀の世界の中心は、アジアを起点に動き出している。そのアジアの仲間たちとともに、新たなアジア太平洋地域の未来を考えると同時に、日本の魅力を伝えていく大会にしよう。開催国として世界の仲間たちを盛大に迎え、深い友情を育み、普遍的なつながりを創造し、恒久的な世界平和の実現の礎となる有意義な大会を成し遂げよう。
【奇跡を起こす人財の育成】
本年度も引き続き日本アカデミーを開催し、奇跡を起こす人財を育成する。全国行脚をし、情報交換をすると、常に課題に挙がるのは、会員拡大と入会間もないメンバーの育成についてである。理想は、拡大運動をすることなく入会者が増加していくことである。青年会議所に入会したら、社会の発展に寄与できる人財として成長することができるということを、一般常識として認知されることが必要なのである。一人ひとりが成長を遂げながら、社会においてあらゆる分野で活躍し、憧れの存在として昇華しているならば、必然的に入会数は増加していくと確信している。その理想に一歩でも近づくためには、現状を打開すべく、一人ひとりが当事者意識をもって会員拡大を行い、自らが成長を遂げていかなければならない。市民からの共感と信頼を得るために会員拡大を行うことは、己の指導力を高めていく、我々自身のための運動でもある。私自身、会員拡大を行っていると、否定的な意見を聞くことや入会を断られることもあり、私の伝える力の足りなさ、私自身の魅力の無さを痛感し、ひいては私自身が信頼を得られていないのではないかと不安な思いを何度もしてきた。昨年全国のメンバーの平均在籍年数は4年5ヶ月となり、決して入会が遅いことで青年会議所における学びを得ることができないわけではないが、在籍年数が長ければそれだけ多くの機会に出会うことができるのも事実である。20歳から40歳までの青年期は、人生を生き抜く力を身に付ける大切な時期である。私は、次代の指導者と成り得る一人でも多くの若き仲間たちに、貴重な経験や機会を得ることができる青年会議所という学び舎を知って欲しいと思う。少しでも早く入会し、青年会議所の魅力を知ってもらうことも大切なのである。私は、青年会議所における様々な運動、活動を通じて、劇的に成長してきた仲間たちを何人も見てきた。現役中に成長し続けているJAYCEEもいれば、卒業してから大飛躍するJAYCEEもいる。青年会議所という学び舎を通じて、日本の未来を切り開くために、一人でも多くの新しい仲間とともに活動できることを望む。そして、時代に即したアカデミー制度を確立させ、全国各地で実施していく。新しい仲間が心身共に大きく成長したJAYCEEとして、地域に、日本に、世界において活躍することを切に願う。
【スポーツで地方創生~東京オリンピック・パラリンピック競技大会を控えて~】
2020年開催予定の東京五輪に向けて、各競技種目で若い力の台頭やプロスポーツチームの活躍がニュースとして取り上げられるようになり、選手の出身地域では、そのことが地域に活力を与えている。我々の幼少期に比べるとスポーツの環境は整備され、子供たちの競技レベルは遥かに向上してきた。しかしながら、種目によってはなかなか練習環境に恵まれず、選手個人の努力でトレーニングを続けているケースもある。五輪種目は、今後も継続される可能性が高いため、地方公共団体ごとにマイナー競技を積極的に地域活性化の機会として活用し、継続支援していくことを検討する必要がある。また、政府にもそうしたサポート体制の構築を訴えていく。スポーツは、子供たちの夢であり、それを後世につなぐことができるのは、我々青年経済人である。
また、パラリンピックは、東京の競技会場および地域の練習会場周辺において、障害者の移動の妨げになる箇所を検証し改善するまたとない機会である。同様に多くの外国人旅行者の訪日で、日本各地で案内板などのグローバル表示を進めていく必要がある。そうした意味で、2020年は、世界や障害者に開かれたまち、開かれた国にする第一歩として位置づけることができる。我々もそうした視点で、未来を見据えた東京オリンピック・パラリンピック競技大会の成功を様々な形で支援していきたい。
【組織力の強化】
近現代における情報発信のあり方は、ICT化の進行により、容易に世界中へ発信することが可能となった。我々が取り組んでいる運動を外部に向けて適宜発信していくことは必要不可欠であり、組織のブランディングを高めていくことにも必ずつながってくる。公のためにしている尊い運動を、対内外に周知してもらい、存在価値を高めていくことができれば、必然的に組織の価値は向上し、多くの人財が入会してくることにもつながっていくと確信している。時代の変化を読み、最善の方法を模索し、スピード感をもって効果的な情報発信に取り組んでいく。
組織とは、「個」の結集であり、組織力を高めていくためには、一人ひとりの主体的な参画とメンバー同士の深い交流が必要不可欠である。我々の組織は、限りない可能性を秘めている。我々は、自分一人のために活動するのではなく、「個」である一人ひとりが多様な価値観をぶつけ合い、また互いに相寄り理解し合うことにより、有機的なつながりをもった強固な信頼関係を構築していくことができる。「個」で挑む力よりも、「個」の結集した強固な組織とならなければならない。そのような組織こそが、力強い運動を展開し、地域の発展のために取り組んでいけるのである。
我々の運動を力強く展開していくためには、磐石な会議運営が不可欠である。また、我々の活動費はメンバーからの貴重な財源により運営されており、公益社団法人としての会計の透明化と財務体質の健全化並びにコンプライアンスの徹底といった高い精度の運営が求められている。今後もあらゆる点で、我々が目指すべき社会の実現のため、そして我々自身とその家族のために、堅実に運営していかなければならない。今後も財務基盤の強化を図り、安定的な財源の確保と、あらゆる価値と生産性を高める運動を継続していかなければならない。
【結びに】
我々は、無限とも言える空間の広がる宇宙に抱かれ、その中の一つの惑星でしかない地球の自然の摂理の中で生かされている。決して一人で生きているのではなく、祖先がいて、両親がいて、そして今、我々はこの世に存在している。宇宙の時間軸の中では一瞬とも言える我々の人生をどのように生きるべきか。すべての関わる人、すべての機会に感謝することを忘れず、たった一度きりの人生を大切に生きようではないか。
何かを揶揄する前に、己自身の襟を正し自己研鑚に努めよう
自らを変えられないものに社会を変えられるはずはない。青年会議所という学び舎で得たことを、関わっているすべての人々に行動で示そう。今は大変でも、その先には「明るい豊かな社会」がある。その明るい未来につながる扉を開こうではないか。変革者たらん我々青年が、能動的に活動できる機会を通じて、多くの知識を学び活用する。そして、成功、失敗の経験を繰り返し、見識として己の徳を積む。時には、どんな困難が立ちはだかろうとも、断固たる決意をもち、志を立て、未来を切り開いていかなければならない。現状に満足せず、何事にも挑戦し続けるという強い意志がそこになければ、人の営みは停滞し、社会は瞬く間に活力を失う。変化を恐れ挑戦しないリスクは、失敗するリスクよりもはるかに大きいものである。しかし、そこに気付く者は極めて希だと考える。
我々を取り巻く環境は一人一様であり、自らを取り巻く環境における問題で苦労している人もいるとは思う。しかし、不平不満を言う、できない理由を並べる、最初から無理だと思ってしまうのではなく、修練という成長の機会を与えてもらっていると前向きに捉え、どうやったらできるかを考え抜き、何事も全力で挑戦しよう。青年会議所という世界中にネットワークがある奥深い組織から学びを得てみよう。必然的な出会いがあり、嬉しくも悔しくも前向きな涙を流すことができ、感動を味わうことができる。そして、まだ見ぬ世界を一歩踏み出すことで素晴らしい機会がある。青年会議所はそんな唯一無二の団体なのである。
「明るい豊かな社会」の実現は、人財の成長なくしてありえない
故に、我々が変革者たらん「和」の精神性を兼ね備えた人財として成長を遂げ、調和を生み出し、奇跡を起こそう。
人は、限りない可能性を秘めている
万物に感謝の心を以て、公に誠を尽くす
愛と希望溢れる国 日本を創造するために