1. ホーム
  2. 「明日への黎明」の発刊について
  3. 2021年度 第70代会頭 野並 晃 所信

2021年度 第70代会頭 野並 晃 所信

公益社団法人日本青年会議所 2021年度会頭所信 野並 晃

【はじめに】
新型コロナウイルスを起因とするパンデミックは、人類のあらゆる尊厳を脅かし、世界規模で社会的、経済的、そして政治的危機を引き起こしながら、依然として私たちの生活に甚大な影響を与えている。
青年会議所もまた、その活動に大きな影響を受け、日々、生命の安全と経済の再生という難しい選択を突きつけられた。
「昨日までの日常が失われ、混沌とした空気が蔓延し、誰もが不安になる時代」
「今までの価値観が変容し、新しい時代を迎えざるを得ない時代」
私は、こんな時代だからこそ、70年前に制定された私たちの創始の精神を今一度、噛みしめ、改めて青年会議所の本来の姿を明確にして、行動していくことが求められていると信じている。

 

「新日本の再建は我々青年の仕事である。更めて述べる迄もなく今日の日本の実情は極めて苦難に満ちている。この苦難を打開してゆくため採るべき途は先ず国内経済の充実であり、国際経済との密接なる提携である」

 

いつの世も、光は辺境から差し込み、時代が変革していくように。

 

 

【今、私たちが問われている】
戦後の荒廃期において、祖国日本の再建は、私たちが成すべきことであるのだという圧倒的な当事者意識の集積が青年会議所を創り、その意志は全国へと伝播された。様々な時代を背景として、日本の青年の運動は設立から70年にわたって今日まで連綿と流れ続けている。
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の発令という、私たちが未だ経験したことがない事態を前に、今まで当たり前に行ってきたことを強制的に止められるという経験をした。多くのことが止められても、家族のため、地域のため、生業のためと考えたとき、自分たちが起こすべき行動は、「明日、世界が滅びるとしても、今日、君はリンゴの木を植える」という言葉に当てはまるものであった。
企業にとっては、継続は1つの命題である。特に我が国においては、江戸時代の商家が暖簾を守ることを使命として、日々の商いに努めてきたと言われている。仕事に励み、利潤を上げていくことは、生活の維持向上のためでもあったが、それにも増して営業の基盤を固め、商いの永続性を確立していくことが主人たるものの使命と心得、その使命遂行の責任を持つが故に、従業員に仕事を命じることも協力を要請することもできたということである。

 

青年会議所にとって、継続とは手段である。拠り所とする価値観を踏み外すことなく、一方で時代に即した形で変わり続けてきたからこそ、今日の青年会議所が存在するのだと私は解釈をしている。だからこそ、未来へ歩みを進めるために不可欠となる、原点への回帰という作業を確認することで、立脚点を明確にし、その立脚点を前提として、未来への進化を図っていきたいと考えている。
今までの中心が明日には周辺になり、価値観や文化をも覆しかねない。過去から容易に導くことができない事態の出現が頻発する、 今という大きな揺らぎの中にあっては、過去が未来を決定するのではなく、どのような未来を描くかによって、過去と現在がどのような意味を持つのかが創られるという文脈において、私たちは根源的な時間を生きるのである。今という時代に光明を見出すのは、私たちの「純粋な正義感と、目的完遂の確固たる実行力」 に他ならず、「打開してゆくため採るべき途は国内経済の充実であり、国際経済との密接なる提携」に他ならないのだ。

 

 

【危機はどんなときも私たちの隣で「ほんとうにそれでいいのか」と囁いている】
今日までに経験した、時には多くの命が奪われた災害から、かつて私たちはどれだけの教訓を得ることができたのだろうか。危機に直面し、誰もがいつもの日常に戻ることを求めて、結局は何も学ばず変化しないことを私は最も恐れている。
私たちが、この世の中で生活するということは、常に何かを学ぶ姿勢であり、「生きること」と、「生き残ること」の両義性こそが重要であって、ただひたすらに生き残ることだけを目指していたのでは、むしろ私たちの生活を破壊しかねない。生き残ることだけを目指し、友人と親交することをやめ、危機を完全に排除しようと他者を差別することは、反対に生活を破綻させることにつながる。それは私たちの生活を、生きるか、生き残るかという二元論に押し込めてしまう議論の在り方そのものに問題があるからだ。そうだとすれば、どちらにも偏らない生活への気遣いこそが、今を生きる私たちが危機と共生する時代の、倫理の導きの糸となるのではないだろうか。
私たちは、あらゆる事柄に倫理的に完全に無関心になることは決してできない。誰もが不安と鬱屈を抱えている。それでも他者への想像力を働かせることが、自身を救い、そして人を救うのだ。倫理とは、異質という錯覚を「今のあなたは私だったかもしれない」という事実に転換することである。
危機から私たちが試されているのは、そこから学ぶ態度を持ち、変化する関係性の中から生み出される矛盾を、二者択一で解決するのではなく、矛盾を内包したより高次のレベルへ統合する思考を持てるかということである。世界は様々な矛盾で満ちており、その中で何かを実現しようとすれば、二面性の壁にぶつかるのが現実の姿だ。この二面性を否定せずに受け入れ、統合することによって、「どちらか」の二項対立を乗り越えて矛盾を克服し、「どちらも」を実現する新たな価値の創造へと至るのである。

 

 

【新たな時代への視座】
18世紀イギリスに端を発した産業革命は、産業の効率化を推し進め、産業資本の成立によって資本主義経済が完成した。その後、資本主義社会は展開され、都度修正を経ながらも21世紀を迎え、市場経済万能の様相を呈している。世界的な恐慌や危機を回避するべく様々な網目が張られているものの、世界的な課題はより複雑化し、過去からの延長や教訓では太刀打ちできないような病理を浮き彫りにしている。
経済の対象は言うまでもなく人間であり、人間を取り巻く社会である。経済とは、それ自体が目的ではなく、人間としての目的や社会としての目的を達成するための手段だ。人間としての幸福は、資本主義の金銭による計算では表せない。株主資本利益率や市場の効率化のみを追求しても、経済の本来の目的を達成することはできない。私たちに問われているのは、新たな手口を編み出すことではなく、本質的な目的に正対することに他ならない。
人口減少・超高齢化に向けた流れが着実に進行し、財政にも課題を抱え、慢性的なデフレが続き、力強い経済成長をなかなか実現できず、地域社会が疲弊するという悪循環に陥っている。今こそ、本質的な目的に正対し、物量を指標とするのではなく、質的な指標を掲げて、新たな時代を生き抜いていくべきである。つまりは、クオリティ国家を目指すべきである。クオリティ国家を目指すためには、国を構成する地域が自立し、自ら積極的に輝こうとする主体性が前提となる。
企業においても、個々の企業が利潤最大化を通じて株主利益を追求することにより、結果として社会全体の善や幸福が達成されるという思考は、現在、修正を迫られていることに議論の余地はない。ビジネスの本質とは利益の最大化のために競合他社をしのぐことではなく、その企業に特有の価値観やビジョンに基づいた卓越性を求め続けることである。卓越性を追求していくことは、携わるステークホルダーのみならず、社会に対する共通善に貢献しようとする姿勢を同時に形成する。つまり、利益は価値の創造の結果であり、それ自体が第一優先ではないのだといった価値観への共感の連鎖を紡いでいくことが、今日に対峙すべき視座なのである。

 

 

【地域が主体的に自立し、自ら輝こうとする姿勢を訴求したい】
質的価値を追求する国家を目指すうえで鍵となるのが、私たちが住み暮らす地域である。量的なNO.1を目指すためには、各地域がバラバラに産業発展の努力をするのではなく、国家が主導して、全体としての効率を優先しなければならない。そのためには、権限や資本を中央に集中させ、より錬成され統一された技法を各地域に水平展開して、強力に開発を推し進めることが最も有効かつ効率的であった。
実際、日本は、世界に誇る識字率の高さとも相まって、加工貿易立国として奇跡的とも言える量的発展を成し遂げた。しかし、こうした時代が終わりを告げた今、過去の成功モデルから脱却しなければ未来はない。かつての成功モデルに則った、上からの地方創生は既に限界を迎えている。質的優位を達成するためには、統一された技法が全国で用いられることよりも、多種多様なイノベーションが日々巻き起こることのほうがずっと重要である。だから、新たな時代において、質的優位を達成するためには、かつて中央に集中した権力や資本を地方に分散させ、日々イノベーションを生み出すための土壌を全国各地に創り出す必要がある。そうした意味で地域こそが鍵となるのである。青年会議所においては、各地域の会員会議所が全ての根源である。メンバーは必ず各地の会員会議所に所属し、そこでの地域活動が最初の青年会議所活動となる。全ての基本は地域である私たちだからこそできるイノベーションを生み出す手法があるはずだ。
また、単に土壌を創り出すだけではそこにイノベーションは生まれない。地域に生きる青年経済人の責任として、まちづくりに向き合い、地域に根差し、そして向き合い続けていく私たちだからこそ、能動的な当事者として、自らの地域の成長戦略を可視化できるような、未来の補助線を描く責任があるのだ。新たな時代を肯定し、地域の生き方を再定義する必要がある。かつて日本では、一村一品運動という地域の活性化策があった。1つの村に1つの特産品を創り、日本全国に展開し、地域を盛り上げようというのである。また、まちおこしの名の下に、祭やイベントを企画し、名所を掘り起こそうとした時代があった。今の時代に創り出すのは特産品ではない。生み出すのは「モノではなく価値」である。実際、全国に展開可能な特産品を生み出すことなど容易ではない。また、国民の多くが訪れる新たな名所などそうそう見つかるものでもない。
地域において新たな価値が生み出されたとき、それを全国に水平展開しようとする必要はない。先にも述べたように、各地域において活動する私たちの手の届く範囲で質的に高い価値が提供されていること、それは、その地域でしか提供できない価値だからである。同じ成功モデルを全国展開しようという考え方は、多様性が基軸となる新たな時代にそぐわない。それは、ともすればモデルの「押しつけ」になり、かつての上からの地方創生の同じ轍を踏むことにもなる。私たちは他地域の成功モデルを追い求めるのではなく、一人ひとりが創造者であることを自覚する必要がある。そして、各地域でそれぞれのメンバーが輝き、それぞれの地域にあった運動を展開することが、日本国内全体における青年会議所の価値を高めることにつながる。
多くの地域では人口減少への対応策についても、人口を闇雲に増加させるような政策ではなく、経済、産業政策をもって新たな財を稼ぐ方法を検討し、乗り越えていくしかない。人口過剰状況を前提とした過去の低生産性社会から脱却し、人口減少時代における低需要でも、質の高さで人々を引き寄せる新たな需要を生まなければならない。また、人口に左右されない高い生産力による稼ぐ力を確保するために、進行する超高齢化社会を受け入れ、高齢者も高い生産性を持って活躍できる社会を実現しなくてはならない。
地域経済的観点からも、より持続性の高い企業やまちに投資が集まる時代が目の前に到来している。たとえ小規模でも持続可能な地域を実現するビジネスモデルが資金を調達できる機会を提供し、持続可能性や取り組みを可視化し、世界基準での評価を得られることで、地域内のパイをお互いに奪い合うのではなく、ESG投資をはじめとする、経済の水源としての人・モノ・情報が世界から集まる自立した地域を創ることができる。このように考えると、いわば人類の目標であり世界の目標であるSDGSについても、それが地域の在り方という文脈で必ずしも水平展開される必要はないことに気付くだろう。実際、最近の企業の統合報告書においては、各社においてどの項目に取り組んでいるかを丁寧に示してアピールに余念がないが、その内容はどうしても横並びにならざるを得ない。しかし、持続可能性という概念の達成に向けて、各地域が創造的努力をするのであれば、自然と各地域に独自の指標が設定されるはずなのである。こうした18番目のゴールのように、余白の世界に価値を持つことがニューノーマルの中で求められており、その創出が今の社会に対して提供することのできる価値となるのである。
地域で輝く人財には、与えられる環境が重要である。その人財の価値観は、私たちの住み暮らす地域の中でだけ提供される価値であっても良い。その価値が十分に質的に高く、さらには人財が各地域で生み出され活躍すれば、各地域はそれぞれの色で輝き出す。スポーツを通じた取り組みもその一部である。地域や分野に尖った人財が生まれる環境が整うことで、それぞれに彩のある質の高い地域が生まれ、社会により良い影響をもたらすのである。
リアルな活動が制限される中において、デジタル活用が様々な場面で必要性を増し、一方でデジタルが強化されることで、リアルな活動においても新たな価値を創出する必要性に迫られている。従来の仕組みを単にデジタルに置き換えるのではなく、体験の本質は何かを追求し、体験することでその先に行けることが重要だ。デジタルにより、できなかったことができるようになる。それぞれの仕事の価値を高める。仕事の仕組みが変化することで一人ひとりの価値を掴み、一人ひとりが納得し満足できる商品やサービスを作る。それがニッチなものであっても、品質を高めていけば社会とも共有できる価値になる。そういう体験をビジネスにつなげていくことが、これからの企業に求められているのである。

 

 

【地域の自立を促し、背中を押すことが柔靭な国家の形成につながる】
地域に権力や資本を分散させたとしても、国家レベルの課題を地域に担わせることが妥当でないことは言うまでもない。国防や巨大インフラの整備といった事業を、地域の手に分散して担わせることはできない。そして、国家的課題に対する各戦略について、私たち日本青年会議所は必ずしも専門的知見も経験も有していない。
しかし、国家とは地域の延長であり、地域に住み暮らす人々を抜きにして成り立つものではない。したがって、地域に密着し、地域で新たな価値を提供する私たちが、国家的課題を把握し、それを各地域において実践することは重要な意味を持つ。私たちが実践すべきは集積された権力や資本を運用するための戦略ではなく、多様性ある各地域でなし得る地に足の着いたリアルな戦略である。そうした戦略を、国家的戦略の立案・遂行を担う人・団体とパートナーシップを組み、これを継続することによって、よりリアルに実践していくことこそが、新たな時代の日本青年会議所に課せられた担いである。
経済についても、人口が減少局面に入り、行き詰まることの明白な社会保障費の激増に対し、収益の確保は重要であるものの、量的観点からいたずらにGDPの拡大を追いかけるべきではない。そうではなく、少ない費用でも質的に良好な生活を送れる環境を実現することで解決を図るべきである。そのために鍵となるのは、海外を含めた優れた知見を呼び込む環境の整備である。総務省がまとめた2019年の人口推計では、死亡数から出生数を引いた日本人の自然減は49万人で過去最高となった。一方で75歳以上の人口は50万人超増えて総人口の15%に迫り、超高齢化が加速する。一方で、外国人の入国者から出国者を引いた社会増加は初めて20万人を超えた。4年前と比べて倍の規模であり、人口減が進む日本の人手不足を補う層として厚みを増している。出産・育児に関わる支援を引き続き推し進めるとともに、ラグビーワールドカップにおける日本代表のように、もともと外国籍だった人を含めたワンチームを創り出すために、能力のある外国人を日本社会に適応・融合させる実績を積む必要がある。こうして、海外も含めた優れた知見を呼び込み、各地域においてこれを実践するために、賃金という量的な観点だけでなく、質的に魅力的な雇用環境の整備を今すぐにでも始めるべきである。
優れた知見の確保という意味では、日本の将来を担う子供たちや若者に対する教育の質的転換も重要である。インドはフォーチュン500社(米フォーチュン誌が毎年発表する上位500社のリスト)に多くの副社長以上の役職者を提供している。人財育成という観点において、世界の経営陣の中で活躍できる人財を大量に輩出しているのである。インドの教育において力が入れられているのはSTEAM(サイエンス・テクノロジー・エンジニアリング・アート・数学)教育と英語である。現在、日本の教育は日本の社会の中で生き抜くことを前提とされているが、教育においても、日本にとどまることなく世界化していかなければならないという危機感を持たない限り、教育レベルの世界の中での相対的な低下とともに、国民のレベルの低下にもつながる。答えがある時代の教育から、答えのない時代の教育への変化が必要なのである。また、メディアリテラシーに関しても、現実が刻々と変化することを理解したうえで学び続ける必要がある。
これらの国家的取り組みは、かつてのような中央からの押しつけであってはならない。地域がその実情に応じ、質的観点で自発的な、そしてその地域に限定した取り組みを実践すべきなのである。そのためには国と地方の権限に関して、今一度その在り方を見直すべき必要性がある。私たちは各地域の目線からこうした研究を行い、本質的な権限委譲を実現させていく。現在の都道府県の立ち位置としては、機関委任事務は廃止されたものの、地方における行政サービスを中心として、国から委託された範囲の中で行う機関としての役割が未だ多く残っている。つまり、地方にはまだまだ制限された自治権しかないというのが現状である。アメリカやドイツはそれぞれの州が三権を持ち、企業誘致をはじめとした産業政策、すなわち地方の繁栄と雇用創出は州の権限で実施し、連邦政府は国籍や外交、国防、金融政策に関することを決定するという役割分担がされている。中国も人事権は中央が押さえているが、経済政策に関しては市長に権限が与えられており、経済成長の目標さえ達成していれば、開発原案は通るようにできている。結果、100万人都市は140以上にも増え、計画経済と言われながらも地方に権限を与え競わせたからこそ全体として高い経済成長を達成できたと言える。国民幸福度が高く福祉国家、高生産性国家として名高いデンマークでは、国家の権限は医療行政に集中しており、それ以外の各種政策は地方の状況に合わせて各地方が高度な自治権を有している。
もちろん、主権国家がどのような統治制度を採るかは、歴史や国柄が大きく関わってくるため、他国の制度をそのまま我が国へ水平展開しようとするのは愚の骨頂である。とはいえ、常に今日が起点であるという意識で世界を見渡し、我が国を見直せば、憲法を聖域と考える必要はまったくないことに容易に気付くのである。私たちは、質的価値を重視する国家の観点から、改めて主権者として統治の在り方を考えることが重要である。
新型コロナウイルスの蔓延は国家に大きな被害をもたらしたが、一方で、病院や避難所などの社会インフラの拡充と、これらへの投資の必要性を再認識するきっかけになった。実際、当初は有症者を全て病院において対応するという方針で進んだものが、その後の情勢からホテルを借り切るなどの施策も合わせることで、病床不足に陥ることを補った。避難所生活においても今までの行動を変容することが必要とされるとともに、平時の想定が予想以上の混乱をきたさないことにもつながる。地震や暴風雨のようにある程度地域が限定されたものから、疾病のように国全体を覆いつくすものまで想定範囲が広がった中で、地域におけるインフラ投資を推し進めるとともに、今までのパートナーとの連携を緊密にしたうえで、新たなパートナーとの連携を構築する必要性も認識されたのである。これまでの災害の調査から、友人、家族、近所の人々が、有事の際に最も重要な支援元であることが多いと分かっている。行政とコミュニティの非常時対応の役割を明確にするとともに、地域社会の活動を通じて築かれる地域コミュニティに生まれる人間関係は、災害対応を超えて地域の連携と信頼関係を高める取り組みとなる。
強靱な国土を創るための国防やインフラ整備について、国家的事象としてこれを自らと無関係とし、乏しい情報と知見に基づいて空論を交わすことは容易いが無意味である。私たちは量的観点から質的観点へとパラダイムシフトするとともに、国家的事象を自らと自らの地域に落とし込んで課題を探り、解決する視点を持たねばならない。国家有事の際、作戦に必要な物資、生活に必要な物資はどこでどのように不足するのか。地域にはどれほどの不便や混乱が生じるのか。食糧自給率や土地の管理に関する問題など、無論、専門家によるシミュレートはされているものの、地域を知り地域を動かすことのできる私たちには、できる備えがあるはずであり、それが地に足の着いたリアルな国防である。

 

 

【世界が内側への志向を強める中にあって、民間レベルにおけるさらなる連携を求めたい】
ウイルスのような目に見えない敵と対峙したとき、一時的にその敵に打ち勝つために、人の往来を止めるということは合理的な判断である。だからといって、人・モノ・情報がボーダーレスで移動・流通するのが当たり前となった世界において、世界が恒久的に分断されるということはあり得ないし、あってはならないのである。国家という基本的枠組みは失われないものの、グローバル化した世界において、人類は相互理解と連携をこれからも続けていくことになる。渡航に物理的な制限が生じることは、各国との相互理解と連携の必要性を些かも失わせない。ウイルスとの対峙が長引く今だからこそ、ニューノーマルな世界を先駆け、あらゆる方策と新技術を用い、他の国際組織と協働し、ときにはイノベーションを生み出して、国際社会の一員としての役割を全うしていくべきなのである。
地球上のいかなる国家も、自国のことのみに専念し、他国を蔑ろにしてはならないのであって、我が国はこの理念を共有する国際社会において名誉ある地位を占めてきた。日本を取り囲む海と空は世界中いかなる国・地域ともつながっており、近隣諸国という距離的概念に囚われない国際戦略が必要とされている。中国とは常に次世代の関係構築を行っており、世界の平和を意識した関係の深化が求められている。その際に鍵となるのが、成熟国家・課題解決先進国として世界をリードする我が国の立ち位置である。お互いが強みとするものを民間交流の視点で活かすことが重要である。
JCIに対し、日本は世界に誇る会員数を提供し、そのプレゼンスを高めてきた。しかし、会員数といった量的優位だけに依存してはならないことは繰り返すまでもない。ましてやここ近年では、毎年拡大に成功している国家青年会議所や地域に対して、会員数における量的優位という観点において、日本が会員数トップでいられるのも時間の問題である。しかし、JCIにおいて日本のプレゼンスが高いのは会員数による量的優位だけでは決してない。毎年展開している運動や事業の質、組織としての運営方法、さらには政府や地方自治体との連携など、他国の国家青年会議所との違いは明確である。2021年度は、JCI会頭を日本から輩出する特別な1年であり、JCIとの協働をさらに強く推し進めることのできる年となることから、この機会を通じて世界で活躍するリーダーから多くの学びを得ることが重要である。また、全世界から注目を浴びる年だからこそ、各国青年会議所の模範となる運動を推し進めることで、JCIにおける日本のプレゼンスをさらに高めることができるチャンスの年でもある。ウイルスによって人の往来が難しくなった今、他国との連携を図ることは難しくなったかのように思われるが、実際には技術的な発達によりオンラインを用いて世界とつながることは容易であり、そのことに気付いた各国青年会議所では、今や会議やトレーニングのみならず諸大会においてもオンラインを使用して行うことが主流になりつつある。コロナ禍だから国際交流は難しいのではなく、コロナ禍だからこそ、逆に世界との壁がなくなりつつあることを認識し、民間レベルにおけるさらなる連携を推し進めていくことが大切である。
私たちが各地域で成すべき価値の創出と質的向上は、世界という舞台においても成すべきことである。SDGSの17の目標はその際の有効な指標であり、世界各地での実践をさらに加速させていかなければならない。ただし、ある地域で成した実践を、他地域へ、または世界へと波及させることを重視する必要性は低い。その地域の実情にあった、その地域にのみ妥当する手法で十分であり、これを数多く実践するほうが重要なのである。日本青年会議所においては、2019年にSDGSを運動の主軸に置き、各地会員会議所とともにSDGS推進宣言を採択し、一丸となって推し進めてきた。このことは、世界の青年会議所も注目しており、今やJCIにおいても日本のSDGSの推進事例は注目を浴びている。今後は、コロナ対策とSDGSを絡めた運動をオンラインなどの技術を駆使して展開することで、さらなるプレゼンスを高めていく必要がある。
このように、世界を1つのフィールドと捉えたとしてもなお、ロシア、そしてアジアとの関係維持は戦略上重要である。距離的概念は別にしても、その歴史的関係の深さ、感情的なつながりと対立は、今なお全ての日本人が向き合うべきアジェンダである。これまで培ってきた両地域との関係を維持し、相互理解をより進めるべきである。今後、世界が置かれる状況から明らかであるのは、これから確実に起こり得るリスクに備える適応ビジネスが、世界中で成長する分野であるということだ。世界的にも多くの課題を経験してきた日本のそれぞれの地域が、自らの解決力を他のまちより先んじて高めることで、この適応ビジネスを信頼される質の高い輸出産業に育てることが成長戦略の1つとなるのである。
ところで、このような国際事業に取り組む際、私たちに大きく立ちはだかるのが言語の問題である。世界で最も広く使われている英語と我が国固有の言語である日本語とは、他の言語に比べ、言語構造が最も離れているとの研究がある。すなわち、英語圏の人々にとって日本語は最も身につけがたく、私たち日本人にとって英語は最も身につけがたい言語なのである。JCIにおいては、日本語は主要言語の1つである。しかしながら、実際に日本語を使用できるメンバーが他国にいるわけでもなく、コミュニケーションには英語が必要不可欠である。一方で世界会議などの総会を見てもわかるように、他国の多くのメンバーは英語を使用することができ、英語によって民間外交を推し進めている。日本語が主要言語であるからと言って、いつまでもそのことに甘んじていては、日本が世界から取り残されることになってしまう。どんなに素晴らしい運動を展開しても、どんなに画期的なアイデアを持っていたとしても、それを共有する術がなければ、世界から共感を生むことは難しい。日本人は誰しも義務教育や高等教育において英語の勉強をしている。国内において英語を習ったことがないという日本人はほとんどいない。それにもかかわらず、英語を使用できない、英語を扱うことに強い抵抗感を持っている日本人はあまりにも多い。日本青年会議所の組織及び10年後、20年後の未来を見据え、他言語及び他文化理解に関する国際教育の推進が急務である。

 

 

【新たな自己生成を繰り返す能動的存在であり続けたい】
組織の現状から組織の改革への決断を行った2020年度において、現状を悲観的に捉えず、時代に即した組織へと改革できる絶好の機会であると受け止めようという観点が起点となった。新型コロナウイルスの感染拡大に直面をして、あらゆることが、従来と同様の進め方ができないからこそ、未来にビジョンを定め、組織の本来的な目的を見失わずに、どのような手段としての選択肢があるのかということに向き合う機会でもあった。
若者や女性活躍社会の実現を謳いながら、メンバーの平均在籍年数も増えず、女性メンバーが極端に少ない現状について、根本的な原因分析を行い、数値目標ではなく質的な環境整備を行うべきである。事業の魅力、人財の魅力が相まって会員拡大が果たせるのである。新型コロナウイルスの蔓延によってメンバーが疲弊し、会員数を減少させている各地会員会議所がある一方で、コロナ禍においても会員拡大や組織改革を推し進め、成功させている各地会員会議所も少なくない。ピンチをチャンスとして捉え、前向きに活動を推し進めていくことで、様々なアイデアが浮かび、組織を前進させることができるのである。また、パートナーシップを持つ団体との連携を、個人間のつながりにとどめることなく、組織の資産として蓄積することで会員拡大に活かす仕組みを構築する必要がある。
2021年は日本青年会議所設立から70年目という節目の年を迎える。この節目の年に、先人たちが積み上げてきた70年の歴史を振り返り、私たちが過去から積み重ねてきたものを整理し、いつの時代にも常に振り返りができる環境を整備する必要がある。また、経験を積み巨大化した組織とは、時に様々な不合理を生み出すこともある。調和と共生を宗とする日本人の在り方も相まって、曖昧で情的、そして硬直した組織関係が弊害として生じていることもまた直視せねばならない。日本青年会議所の組織の在り方は、これまで多くの具体的な成果を挙げ、メンバーの人生をポジティブに変えてきたが、同時に生ずる弊害が、疲弊し消耗するメンバーをも生んできたことは否めない。また、社会が高度なコンプライアンスを要求するようになっているところ、曖昧で情的な組織は、社会が求めるだけの規律を維持できない危険が高まっている。コンプライアンスの確立と維持のためにチェック機能を強化することは当然であるが、そもそもメンバーが自律的かつ主体的に規律を維持するような組織運営の在り方や、組織としての生き方に向き合うべきである。また、不確実で複雑な時代に、様々な労力を費やす大義を踏み外すことのないように、メンバー全員が、青年会議所の普遍的な理念と、時代に即したビジョンを腑に落とす必要がある。これまでは経験的理解と人的交流に重点をおいて継承されてきた日本青年会議所の理念、ビジョン・ミッションを、入会して間もないメンバーでも共有し実践できるような方策を進めなければならない。新型コロナウイルスの蔓延は、三信条をはじめとする日本青年会議所の理念を、メンバー一人ひとりの中でアップデートする大きな機会となるはずである。
コロナ禍により集合型の事業の開催が難しくなる中で、巷ではオンライン研修など個々の能力を向上させるニーズは高まりを見せている。私たちが持つ、個人能力開発に適しているJCI公式コースやJCI推奨コース、日本JC公認プログラムはさらなる受講しやすい環境作りが必要である。また、経済情勢が不安定な中、青年会議所活動より仕事に集中すべきであるという意見もある。学びの過程においては、インプットにとどまらずアウトプットを重ねることで、理解の強化やさらなる視点の獲得につながる。私たちはなぜ青年会議所活動に時間を費やすのかという問いに立ち戻った際に、青年会議所という仕組みを通じて、自らの地域を、社会を、自身が守るべき者のためにより良く変えていくという活動の本質的な大義を、一人ひとりが胸を張って語るべきである。
世界約80か国のリーダーとの出会いは、個人と個人との関係性を強力に構築する。民間外交の基盤となるものは、この個人と個人との関係性である。日本青年会議所がJCIに加盟するまでの経緯や、国際アカデミーの歴史を学ぶことは、現在の世界情勢の中で日本が果たすべき役割を明確にする。また、我が国が目指すべき質的国家への転換について、今後経済発展を終え、日本と同じような課題に直面すると考えられる世界中の国に対して、警告し教示し支援すべき道義上の義務を負うのである。
ブロックにおいては、会員拡大やアカデミー事業を重要視しているところが多い。しかしながら、その事業の質が全て高いところで維持されているという訳でもない。日本の未来のために活動する会員会議所のメンバーを、地域で育てる組織体制を創るとともに、今後の会員候補となる世代を事業に巻き込む仕組みを構築することで、運動の発信と会員拡大の両輪が回るようにする必要がある。私たちはこの青年会議所を、最高のリカレント教育の場として開かれた存在にする必要がある。かつては「JCしかない」と言われた時代から、今は「JCもある時代」とよく耳にする。今後リカレント教育を行う組織が増えることが予測される中で、青年会議所が実践を通じ、まちづくり、組織のリーダーとして、家族を守るものとして、唯一無二の世界最高レベルの学びと気付きのリカレント教育の場となる努力を行う組織であることが、社会に必要とされる組織となる条件である。
私たちは、共通した志と目的を有した組織であるが、隣町の青年会議所が行っている事業すら知らないことが多い。これまで、世界中、日本全国の各地会員会議所において、経済、環境、地域再生、メンバー育成など様々な課題を解決するための事業がその地域のために行われてきた。これらの蓄積が共有される横のつながりを強めることこそ、連絡調整機関としての重要な役割であり、組織の生産性向上への必要な機能である。ある地域で既に存在している事業が、違う地域でも引き継ぎをされることなく、同じように生みの苦しみを経て生まれることは珍しくない。そして、ある地域では失敗に終わった過去の事業でも、違う地域ではうまくいく事業もこの広い日本、世界では存在するはずである。これまでの財産である全ての事業の蓄積を、各地会員会議所が共有し、より有効で効率的な事業運営を行うことが必要である。また、日本青年会議所は、「頼られる組織」でなければならない。頼られるためには、信頼を得ることが必要となる。そして信頼を得るとは、共感を得ることと同義である。日本青年会議所とつながったら楽しそうだ、何か良いことがありそうだといった期待感を感じられる事業を構築し、これらの共有から共感をさらに外部へと広げることを意識する必要がある。

 

 

【組織の内側を強固にすることで、ブランド価値を高める】
様々な組織が乱立する時代にあって、青年会議所は地域の課題を自ら発掘し、自らの手で解決策を模索し、政策の立案、実行までを行う組織である。青年会議所という組織だからこそ、社会の問題点に対して純粋な気持ちで、取り組むことができる。この組織の変えてはならないことは、常に実現に向けた道筋を見定め、そのためのアクションを起こし続けることである。
情報は相手に伝わった時、初めて発信となる。実質的な情報伝達ができていないのであれば、青年会議所運動は自己満足の世界でしかなくなり、標榜する変化を創ることはできない。時代に即した情報媒体や効果的な発信手法を考え、他者を巻き込むことのできる広報活動は、組織のブランディングにおいても重要である。
組織が管理する資産の中には、長期間の視点を持って考慮すべきものがあり、JC会館もその1つである。2020年度に出される答申書の内容に沿って、今後のJC会館の未来におけるあるべき姿を描く議論を進める必要がある。
優れた組織と凡庸な組織との違いは、メンバーが要求された仕事以上のことを実行する意欲があるかどうかと言われる。協調の前提は個人の確立であって、各自の主体的な行動の総和が真の協調性を創出する。つまり、優れた組織に求められるものは、表層的な協調性ではなく、自分が動かす覚悟に帰結するのである。コンプライアンスや財政の面においても、社会の変化に合わせてルールをどのように解釈するかが求められている。

 

 

【交わる関係性を重視し、地域に光を当てたい】
日本青年会議所は、国家的視点から青年会議所としての政策を展開するだけでなく、会員会議所の連絡調整団体としての性格を有している。その主眼は単なる事務的な通知・通達にあるのではなく、特に、日本青年会議所に出向して得られる経験をもって、各地会員会議所を活性化させ、メンバーを変化させる契機とすることにある。メンバーに多くの出向の機会を提供できるよう、環境の整備を進めていく。
こうした青年会議所運動の実践において、極めて重要な役割を担うのは各地区・ブロックである。独自の視点から地域の実情に応じた事業を展開する各地区・ブロックと、国家的な視点を持って運動を水平展開したい日本青年会議所との間に、お互いの意図の齟齬が生じてはいなかったか。国を構成する各々の地域が、自ら主体的に輝こうとすることで国が輝く。日本青年会議所は、地域が実情に応じて、その地域に妥当する新たな価値を創出することを後押ししていくべきである。

 

 

【おわりに】
私が生まれ育ったまちは江戸時代末期、僅か100戸ばかりの小さな漁村であった。今の時代でその人口を評価すれば、消滅可能性都市に組み入れられるだろう。そのまちが人口376万人を数えるまでに成長できた要因は、変化を積極的に受け入れ、過去の延長線上の対策ではなく、柔軟かつしなやかにリスクに対応するレジリエンスがあったからである。それまでの道のりにおいて、関東大震災や空襲により焼け野原となる経験をしながらも、そのたびに自分自身の力でこのまちを良くするという想いと、最後までやり切るという本気の覚悟を持ってアクションを起こしてきた。
しなやかな再起力、復元力などの意味を持つレジリエンス。これは社会、組織、個人など様々なレベルで必要なスキルとして注目されている。背景には、不確実性の高まりがある。気候変動の深刻化やAIに象徴される破壊的な技術革新、グローバル化、先進国の高齢化と新興国における人口爆発など、私たちは常に未曾有の変化に直面している。加えて、自然災害や疾病、不安定な政治情勢、水不足など多くのリスクを抱えている。
これまで数々の想定外の事態が発生し、大きな被害をもたらした。不確実性の高い将来に備えるためには、過去の延長線上の対策ではなく、柔軟かつしなやかにリスクに対応するレジリエンスが重要なのである。SDGSの中にも、「エンパワーメント」、「インクルージョン」、「レジリエンス」の3つの言葉が繰り返し出てくる。これらを実現せずして、持続可能性の向上は不可能という考え方が根底にある。
レジリエンスを向上させるためには、格差と不平等を是正し、全ての人々に安心・安全な生活基盤と質の高い教育機会が確保され(エンパワーメント)、政治・経済・教育・公共など様々な分野で積極的に参加し活躍できる(インクルージョン)環境を整備することが重要である。女性を含む社会を構成する全ての人々に公平な権利と機会が与えられ、活躍できる土台があれば、SDGSが目指す誰一人取り残さない社会が実現され、結果、多くの人の英知が結集されることになり、レジリエンスと持続可能性が向上する。
正解のない時代だからこそ、個人としても、地域や国としても、真のレジリエンスが求められている。困難や矛盾のある所には、必ず新たな発想の機会があり、それらを克服しようと向き合う所にイノベーションが生み出されるのだ。

 

あらゆるカウンターパートと手を携え共鳴を起こし、
様々な善意や価値の結節点となって新たな価値を共創し、
有機的な共感の連鎖の輪を幾重にも描こう。

 

PAGE TOP