名前:吉沢俊夫(よしざわとしお)さん
職業:吉沢設備工業株式会社 役員
JCI歴:2009年入会 / 2018年卒業
主な経歴: 2017年 第48代理事長、2018年 東京ブロック協議会副会長ほか

青年会をはじめとする数多くの地域の団体で活躍し、むさし府中青年会議所でも「府中フードフェスタ」という一大イベント成功へと導いた吉沢先輩。入会秘話から、家族と円満にJCを長く続けるコツ、10年間続けてきたJCI運動の醍醐味について聞きました。

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――本日はよろしくお願いします。まずは、お仕事についてお伺いできますでしょうか。

吉沢:吉沢設備工業株式会社という会社で、主に住宅や建物の給排水・空調設備の工事を行っている会社であります。父が創業者で立ち上げ、今現在は私の兄が社長で、私が役員という立場で行わせていただいております。多摩の地域を中心に、水回りで困っていることですとか、新築物件ですとか、そういったところの給排水、空調工事、修理、メンテナンス関係とかを行っている会社です。

――地域活動に精力的だということですが、青年会議所に入会されたきっかけを教えてください。

吉沢:府中といえば、大國魂神社を中心にお祭りが盛んな地域です。私も子どものころからお祭りに参加していて、お祭りを仕切っている青年会という組織が各町内にあります。昔から青年会で活動をしていたところ、先輩方にむさし府中青年会議所という活動の紹介を受けたんですね。当初はやる気なかったのですが、青年会議所という、地域活動の一環という形でJCIに入らせていただいたのがきっかけでした。

2017年には理事長もやらせてもらいましたが、最初の頃は理事長をやるなんて気持ちは全くなく、普通に活動できて、卒業できればいいかな、と思っていました。それが、皆さんの支えをいただいて「じゃあ理事長やってみようか」ということで2017年に理事長をやらせていただきました。

「府中ってすごく歴史のある地域なんですよ」
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――先輩たちからのお誘いということでしたが、周りからの反対などはありましたか?

吉沢:周りからの反対というのはなかったです。ただ、自分の中であんまり乗り気ではなかったです。府中の伝統、歴史的にみると、あまり青年会議所が良く思われていないっていうのがあったので。

府中ってすごい歴史がありまして、昔からの人が多いんですよ。いつからっていうのはもうわからないぐらいなんですが、青年会っていう組織で考えると、府中市の府中本町にある青年会などは、今の青年会長が何代目かもわからないくらい続いているんです。江戸時代の頃からあったのではないか、というくらいの歴史なんです。

そういった、歴史のある町興しの団体が確立されているのに、新たな団体を作って…みたいなそういうイメージが昔はあったんです。そこへきてJCI府中って、活動が派手で、遊び方も派手で、そういう一面がどうしても見え隠れしてしまう。今はそうでもないのかと思いますが、昔はやはり良い見方はされなかったんですよね。青年会の先輩にもJCIのOBはいっぱいいますが、JCIを嫌いな先輩もいっぱいいます。

――今はどのような雰囲気に変わってきたのでしょうか?

吉沢:何があったというわけではありませんが、JCIを卒業したという先輩方が増えてきたということもありますし、JCIが地域に理解されてきたという部分もあると思います。現在の府中市長もJCIのOBですし、ブロックの会長でもありました。理解者が増えてきたということだと思います。

「フードフェスタは府中市の多くの団体に協力してもらって開催ができたので、すごく印象に残っていますね」
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――地域の理解を得るのも時間がかかるものですね。では、2017年度理事長の年、特に印象に残っていることはありますか?

吉沢:フードフェスタですね。府中でフードフェスタの実績もなかったので、私が理事長をやるときに是非とも行ってみたいな、ということでやった肝煎の事業です。正直なところ、あそこまで成功するとは思っていなくて、失敗というか大きな事故がなく終わればいいと思っていた程度だったんです。蓋を開けてみたら、大々的になってしまって、けやき並木を全面封鎖してできたっていうのは大成功だったな、と。その当時のメンバーもとても協力的で、今でもすごく感謝していますね。

――ブロック大会でもフードフェスタをやられていましたね。

吉沢:ブロック大会を見据えてでもあったんです。2017年にブロック大会の誘致をしました。誘致するにあたって、フードフェスタ3年がかりで育てていこうという計画を立てたんです。青年会のコミュニティもフル活用していろいろ協力してもらいました。府中市の多くの団体に協力してもらって開催ができたので、すごく印象に残っていますね。

「スイッチが入っていったのは2014年、総務委員会」
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――最初はあまりやる気はなかったとのことですが、JCI活動に対してスイッチが入ったきっかけはあったのでしょうか?

吉沢:スイッチが入っていったのは2014年ですね。
前半は青少年系の委員会に配属されることが続いていました。普段からそういう地域の活動やっていたので、その方がやりやすいんじゃないか、という感じで配慮していただいていたんだと思います。でも、青少年系の委員会は普段とやっていることが変わらないので、あんまり魅力を感じなかったし、モチベーションも上がらなかった。

2014年に総務委員会に配属なりまして、畑違いの配属になったんです。総務委員会をやらせてもらったときに、理事会や、青年会議所って会議体で、いろいろな議論をして事業が作られていくのを初めて知った時に、すごい面白い会だなって感じました。そこからスイッチが入ったって形ですね。

仕事柄企画書を作ることもなかなかないし、お祭り団体は、例年通りとか毎年やっていることなので今年も去年と同じでやろうとか、変更点があったとしても会のトップが「こうしよう」という形でトップダウン。なかなかみんなで議論して事業をやっていくっていうのはないので、私の中ですごく新鮮だったんですよね。

――レアケースですね(笑)! これまでのJCI活動は、今の仕事にどのように活かされていますか?

吉沢:人脈が広がったっていうのが一番ですね。直接ビジネスに繋がっているということではなく、いろいろな面で、困った時とかに、こういうことできる方がいたなと、こういう仕事やってる人がいたな、とか。JCIやってると助けを求めたりができますよね。

「「その楯が家にいない証なのね」と妻に言われたことがありましたね(笑)」
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――仕事や家族、様々なことがありながらも、JCI活動を行うのは大変だったと思います。うまく回すコツなどありますでしょうか。

吉沢:特に後半は毎日のように家にいないような生活でした。コツというのはなかなか難しいと思いますが、やはりスケジュール管理をしっかりする、ということが重要なのかなと。どういうことをやっているのかということを周りにしっかり伝えて、協力を得られるような体制を取ることができれば、忙しくても何とか回せるのではないか、と思います。

私の場合は、家族に共有のカレンダーにスケジュールを全て書いていました。PTAもやっていたので、学校に行ったり、情報も多く知っていたということもあり、家でのコミュニケーションがとれていたという部分があると思います。単に家にいないわけじゃないんだよ、ということをアピールしていました(笑)。家族とよく話すこと。こちら側に巻き込んでしまう。そういう積み重ねが大事なんだと思います。褒章いただいたときに、楯をもらえますよね。「その楯が家にいない証なのね」と妻に言われたことがありましたね(笑)。

――では最後に、もし、もう少しJCIをやれるとしたら何をやりますか?

吉沢:もっとブロックの方に出向したかった、ということですね。ブロックの出向経験が実は少なくて、2016年にブロック出向後、2018年はブロック副会長で、2回しか出向してないんです。いま考えると、もっとブロックに出向していろいろなことを経験したかったなと思います。JCIむさし府中って出向を嫌う風潮があったんです。なので、出向する機会を与えてくれなかったということもありました。なかなか行かせてくれなかったんです。JCI活動の最後の方に出向することができて、JCI活動を楽しめる機会ってこんなにいっぱいあるんだ、ということを気付いた状態で卒業になってしまったので、もっともっと楽しみたかったですね。

取材・原稿:岡林健人、原田健志(JCIむさし府中)