私情をはさむことは、
 ネガティブにいわれることが
 多いような気がします。

 私情をはさまないで
 話すことを求められる場面は、
 意外とよくあるんですよね。

 でも、私情をはさまない話は、
 えてしておもしろくないことが多い。

 たいていのことは、
 意識すれば私情をはさまずに
 できるんだとは思います。

 政治や経済の話も
 社会問題について議論するときも
 じぶんのことと関係なく
 語ることはできます。

 ”わたし”と無関係に語られる正解を
 ”データ”といったりするけれど、
 たしかに”データ”だけであっても
 討論のようなことはできると思います。

 でも、思いませんか?

 たとえば、多くの人に
 支持され評価されている映画である
 というデータがあったとして、
 男女比率や年齢層だとかで
 議論を展開するよりも、
 ”わたし”を通過して出てきた
 意見や考えで議論を展開するほうが
 生きていておもしろい、と。

 ”わたし”を通過した意見や感想、
 つまり私情をはさんだ意見や感想は
 不安定で落ち着かないことが多い。
 根拠もあいまいだったりします。

 たしかに議論に
 混乱をきたす場面は
 あるのかもしれないけれど、
 単純におもしろいのです。

 大好きなテレビ番組に
『人志松本のすべらない話』があります。

 あの番組は、
 芸人さんたちが”すべらない話”を
 自由に話していいルールのはずですが、
 そのほぼすべてが”わたし”が見たり
 聞いたりした体験談だというのは
 私情のおもしろさをとてもよく
 表しているように思います。

 今日も、「東京ブロック協議会」に来てくださってありがとうございます。

 ひとのこころを動かすのは、私情だと思う。