なにかを言えば、だれかが傷つく。

 たとえば天気のいい日に、
「いい天気で気持ちがいいな」と
 なにげなくつぶやいてみても、
「こっちは大雨強風だ。不謹慎だ!!」と
 怒られてしまう可能性があります。

 そういうリスクを
 とことん低くした表現方法が、
 いわゆる官僚的表現だと思っています。

 感想をなるべく排除するのは、
「景色がきれいですね」と言えば
「その景色が見えない人の気持ちを
 まったく考えていない!」と
 怒られるリスクを避けるからで、
 感情をなるべく排除するのは、
「ここの祭りはたのしい」と言えば
「祭りに参加できない人の気持ちを
 考えたことがありますか?」と
 怒られるリスクを避けるため。

 それでも、リスクはゼロにはならない。

 すべての表現は、
 必ずほかのだれかを傷つける。

『ブラックジャックによろしく』
(著:佐藤秀峰)という漫画のなかで
 表現についてこうあります。

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 “表現”とは、
 だれかになにかを
 伝えるためにあります。

 つまり、どんなに
 伝えたいことがあっても、
 だれも読まない記事は
 表現ではありません。

 ですが、どんなに
 多くの人に読まれても、
 そこに伝えたいことがなければ
 “表現”ではありません。

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 小説を読んで、
 漫画を読んで、
 テレビを観て、
 映画を観て、
 舞台を観て、
 音楽を聴いて…

 あとになにも残らないものを
 いったいなんのためにつくるのか。

 傷つけることを避けるために
 すべての表現を自粛するなら
 エンターテイメントは死ぬ。

 今日も、「東京ブロック」に来てくださってありがとうございます。
 
 だれかを勇気づけたことばが
 ほかのだれかを傷つけることがあって、
 ほかのだれかを傷つけたことばが
 だれかを勇気づけることもある
 …ということを肝に銘じておくことが
 表現者にとって大事なことかなと。