名前:青野佑一郎(あおのゆういちろう)さん
職業:行政書士 三鷹武蔵境通り法務行政書士事務所 HP
JCI歴:2010年入会 / 2017年卒業
主な経歴:2016年45周年準備委員会副委員長、2017年45周年特別委員会委員長 ほか

現役時代はバドミントンで足を骨折しながらも募金活動を行い、卒業後はJCIロスにならないために(?)アルバイトを始めるなど、常に精力的に活動されている青野佑一郎先輩。そんな青野先輩の現役時代の活動から卒業した今の思いまで、たっぷり伺いました。

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小美濃:本日はよろしくお願いします。まずはお仕事について教えてください。

青野:行政書士をしています。武蔵野市と三鷹市をエリアとする東京都行政書士会武鷹支部に所属していて、今は仕事の9割近くを両市内の個人や法人のお客様からいただいています。
2008年に当時住んでいた武蔵野市吉祥寺南町で「行政書士青野事務所」として開業し、その後、2014年に現在の三鷹市井口に引っ越し、「三鷹武蔵境通り法務行政書士事務所」と変更しました。

小美濃:仕事以外でも積極的に活動をされていると聞いていますが、具体的には?

青野:仕事以外ですと、JCIに入るきっかけとなった武蔵野商工会議所、卒業後は三鷹商工会にも入り、その青年部に所属していまして、JCIの時ほどではないものの積極的に活動しています。三鷹商工会は武蔵野商工会議所と比べ小規模ではありますが、まちゼミも行っており、私も契約書作成講座等を開催しています。今年はそちらの委員長を務めているので、11月の実施に向けて準備を進めている最中です。

「自分の中では少し早いと思っていましたが、これも何かの縁かなと思い入会しました」
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小美濃:武蔵野商工会がJCIに入るきっかけとなったということですが、具体的にはどのような経緯だったのでしょうか?

青野:2009年に、当時の支部長から誘われて、武蔵野商工会議所に入りました。当時はまだ大宮の大手介護事業者でサラリーマンをしていたのですが、いずれ地元で独立をと考えており、その人脈作りが目的でした。翌年の10月に商工会議所で行ったワンストップ無料相談会で一緒に受付をしていた、司法書士の竹内恒太先輩から誘って頂いて例会に参加し、委員会も2つ見学させていただいたのがJCIとの出会いでした。
本音としては「入会は37歳くらいになってからでいいかな」と考えていましたので、33歳という年齢は自分の中では少し早いと思っていました。ただ、これも何かの縁かなと思い、11月に入会しました。

小美濃:在籍中はどのような活動がありましたか?

青野:当時勤めていた会社では総務や法務といった事務職の仕事をしていたので、JCIでは仕事とはあまり近くない委員会を選ぼうと思っていました。初めてスタッフを務めた14年の拡大委員会までは指導力研修委員会、青少年交流委員会、まちづくり委員会に所属し、「担当例会は頑張る」といったスタンスで、例会出席率も高くはなく、仕事を終えてから委員会、懇親会にも間に合わずに、二次会に参加ということも多かったです。ただ、せっかく入った以上はできる限りの活動はしようと思い、アカデミーやブロック事務局で他LOMの方とも少しばかりですが交流もできました。
また、2011年の指導力研修委員会に所属していた時に、「居酒屋の青春」という公開委員会でOBの先輩方のお話を聞く機会がありました。そこには先輩が2人参加されていたのですが、その2人が口を揃えておっしゃっていたのは、「卒業までには委員長は経験した方がいい」という事でした。なので、卒業する年に委員長ができればと思って活動していました。ラスト4年のところから運営幹事と会計幹事をやり、ラスト2年は理事をやらせていただきました。

「2時間弱で、たしか120万円ものお金を寄付いただいた」

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小美濃:なかでも一番印象に残っている出来事を教えてください。

青野:一番印象に残っている出来事は、実質的な1年目である2011年3月11日に起こった東日本大震災と、その4日後に吉祥寺駅前ロータリーで行った募金活動です。不運にも2月末に足を骨折してしまい、松葉杖をつきながら行った活動でしたが、2時間弱で、たしか120万円ものお金を市民や道行く方々から寄付をいただいた時、JCIだからこそこうして信頼して募金してくださったのだと感じました。

小美濃:ラスト委員長で卒業されたとのことですが、いかがでしたか?

青野:45周年特別委員会ですね。そこで委員会の仲間たち、そしてLOMの全員で作り上げた事業「Musashino Global Challenge!」や45周年記念式典は、今でも鮮明に覚えています。
そのほか、「JCIは健全だが不健康な団体だ」と感じていたので、趣味のマラソンで健康なJayceeづくりを目指して、2015年の三鷹市民駅伝に当時の委員会で出場したのを皮切りに、武蔵野市民駅伝(現・武蔵野市ロードレース)にも毎年参加するようになり、OBになってからも52年度会で出場していますし、現役も出場を続けてくれているので対決しています(笑)。

「JCIロスにならないように、新聞配達のアルバイトを始めました(笑)」
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小美濃:JCI活動で得たもの、仕事へ活かされていることがありましたら教えてください。

青野:士業をしているということもありますが、JCI現役の時も感じたこととして、人から団体として、また個人として信頼されるには時間がかかるが、それが壊れるのは一瞬ということがあります。信頼第一と考え、常にそれを意識しています。
そして、年代こそ近いものの、さまざまな業種や考え方を持った方と過ごすなかで、ダイバーシティやSDGsといった価値観に早い段階で出会えたことで、「相互理解」や「共感」といったキーワードを人生で大切にするようにし、仕事にも活かしています。

小美濃: JCIを卒業してからの変化などを教えてください。

青野:もともと夜が得意ではなかったのと(笑)、特にラスト2年はJCI漬けだったので、JCIロスにならないように、新聞配達のアルバイトを始めました。今まで寝ていた時間に起きるような、超朝型の生活に変わりました。学生時代にも経験があったので、早朝トレーニングとして今も続けており、今朝も配っていました。

小美濃:卒業してから残っているJCIの財産はありますか。

青野:これは、もうひと言で言って「人とのつながり」です。現役時代以上に、卒業してからそれを強く感じます。仕事の依頼も、現役の当時は受ける余裕が無かったこともありますが、卒業してから数多くいただいていますし、地域活動を行う上でも、知り合いとお会いすることが多くあります。
もうひとつ、募金活動や事業の周知のためにチラシを駅前で配っていたことで、喉を傷めずに大きな声を出せるようになったことも財産かもしれません(笑)。

「JCIを作っているのは紛れもなく、ひとりひとりのJayceeの皆さんです」
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小美濃:コロナ禍で、いま現役にやって欲しいことなどはありますか。

青野:非常に難しい問題に直面していると思います。現役の皆さんたちはこのような状況の中でも、自分たちを見失わずに、自分たちにできることは何か、自分たちがしなくてはならないことは何かを必死になって考えてやっているのだと思います。JCIは組織を学ぶ場とも言われますが、それはその通りで、こういう時だからこそ、理事長を支える執行部、理事たちが中心となり、LOM全体が一枚岩になり、あるいは会頭をはじめ日本青年会議所がひとつになって、JCIの底力を見せて欲しいと思います。

小美濃:では最後に、青野先輩が思うJCIの魅力とはなんでしょうか?

青野:JCIというブランドは確かに大きなものがあります。45周年特別委員会の時、武蔵野市の海外交流都市ブラショフ市があるルーマニア大使を記念事業にお招きしたいと思い、西麻布のルーマニア大使館をアポなしで単独訪問し、たどたどしい英語で門の前のインターホンで話していた時、JCIの名前を出したら「OK」と言って、門が開いたんです。先輩たちから「JCIのバッヂの威力」についての話を聞いてはいましたが、これぞまさにと感じた瞬間でした。
そして、そのJCIを作っているのは紛れもなく、ひとりひとりのJayceeの皆さんです。現役はもちろん、卒業しても、「常にJayceeたれ!」と思っていますし、それくらい魅力的な人の集まりです。

青野先輩の話を聞いていて、人との縁をとても大切にされていることが伝わってきました。入会当時はそれほど積極的ではなかったものの、先輩方からの言葉を受け止め、最終的には委員長になるなど、まっすぐに進むその姿勢に、青野先輩の周りの仲間たちも惹かれているのかなと感じました。
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取材・原稿:小美濃 祐希、村西 真一(JCI武蔵野)